過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

鎌倉仏教の日蓮と親鸞をみてみよう

(3)「殺」について、仏教のおしえの変化をみている。駆け足で初期仏教、大乗・密教経典をみてきたが、日本仏教においてはどうか。鎌倉仏教の日蓮親鸞をみてみよう。まずは、日蓮の主張。

日蓮の教えは、極端なところがある。釈迦の説いた経典はたくさんあるが、「法華経」こそが唯一の正しい教えであり、他の教え(釈迦の説いたものであっても)は堕地獄に至るものだ、という。

そうして、「法華経」を誹謗する輩は、成仏の道を閉ざすものであるから、叩き潰せという。禅寺や念仏の寺を焼き払え、かれら坊主の頸を切れ、とも言い放った。

建長寺寿福寺極楽寺・大仏・長楽寺等の一切の念仏者・禅僧等が寺塔をば焼きはらいて彼等が頸(くび)を由比ヶ浜にて切らずば、日本国必ず滅ぶべし」(撰時抄) 。

「日本国の念仏者と禅と律僧等が頸を切ってゆいのはま(由比ヶ浜)にかくべし」( 高橋入道殿御返事)。

「念仏者・禅宗・律僧等が寺をばやきはらひ、念仏者どもが頸をはねらるべしと申す」 (光日房御書)。

こんな物騒なことを述べるには背景がある。他国から侵略されると日蓮は予言していた。事実、元の大軍が押し寄せようとしていた。このままでは日本は滅びてしまうだろう。

そのことは、そもそも「法華経」を誹謗したことが原因で起きたことだ。ゆえに、日本を救うために、法華経を誹謗する念仏者たちを殺せというわけである。

自分たちこそが正しい。自分たちを迫害するものは悪である。叩き潰さなくてはいけない。そういう考えが強いのが、日蓮であると思う。

その教えをひろめようという大教団がある。指導者の言葉として、こういうことばがあった。「青年よ、仏敵を打ち砕け。学会迫害の悪人は、厳罰で野垂れ死ぬまで攻めぬけ」と。これは、800万部発行しているという教団の新聞の一面に掲載されていた言葉である。