過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

 裁判   相手のウソが、露呈する瞬間がある

裁判でたいせつなのは、事実。事実かどうかが最大のポイント。そのためには事実を裏付ける証拠がたいせつ。たとい事実であって、その証拠がないときには、事実と認められないことがある。いつも真実が勝つとは限らないわけだ▲だから相手は、いかにも事実であるように、つくってくる。ときには、証拠を偽造してくることもあろう。裁判官は、たくさんの訴訟をかかえているので、仔細にみていない▲最後は、裁判官の「心証」がモノを言う。ので、ほんのわずか、紙一重のところで、勝敗が決することもある。

ぼくが起こした裁判の場合、相手は、ウソの事実をいくつも並べてきた。相手方の弁護士は、大きな仏教教団の顧問を務めているベテラン。こちらは、ズブの素人▲裁判官も、おんなじ法曹の世界なので、相手の弁護士のほうに信頼を寄せている風情。こちらには、「ふん、ド素人のクセに……」という態度がミエミエだった。

しかし、上手の手から水が漏れる。相手のウソが、露呈する瞬間がある。ウソは、かならずどこかで、瓦解する。あろうことか、証拠を偽造してきた。その偽造の痕跡が、ありありとわかったのだ。その瞬間、相手の言い分は、すべて瓦解していったと思う▲まあ、その弁護士は、弁護を引き受けた以上、勝たなくちゃいけないので、苦労したと思うが、ド素人のぼくに大敗。そして、控訴しても敗れたのだった。