過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

備えあれば憂いなしという生き方で見失うもの

朝から雨が降り続く。田んぼも畑も心配。水が引かなければ根腐れする。日が当たらなければ穂が実らない▲〈備え〉をしなくちゃいけない。とはいうものの、大自然のながれはどうしようもない。仕方ない。おまかせである。

ぼくたちの生き方というのは、〈備え〉のために生きているようなところがある。これから先、どうなるんだろう。大丈夫かなあ。あの時、ああしなければよかったな。あんな失敗はもう嫌だ。──こうして、過去の反省や後悔、将来の不安のために、一所懸命に備えをしようとする▲〈備えあれば憂いなし〉という生き方だ。日々の活動は、〈備え〉のためにしているようなもの。いつかの〈本番〉のために予行演習しているようなところもある。将来のために、いつかのために、そのうちにやってくるなにかのために……。

で、備えにがんばり、予行演習にがんばる。けれども実は、そのために、たいせつな「いま」をうしなうことがある。「いま」をおろそかにしていることがある。心が「いま」にいない。将来と過去にある、行ったり来たりさまよっている▲そうして、じつは〈本番〉は「いま」なのだ。〈本番〉は「いま・ここ」にきている。なのに、将来の〈本番〉のために予行演習しているような日々を送っているのかもしれない▲「いま・ここ」をしっかり生きるということ、なにがあってもそれはおまかせ、というところ。この二つがたいせつ。現実は、とっても難しいけどね。激しく降り続く雨を眺めてそんなことをおもった。