過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

どうぞどうぞ、雨さん降ってね。晴れてもオッケー、雨でもオッケーという生き方が

忙しい、ああい忙しい。……よく口にしたりつぶやいたりする。いそがしいと心身ともに披露する。まさに「忙」という字のごとく、心が滅びるすがたでもある。

仕事が過密だと忙しい。やることがたくさんあると忙しい。やっていても、ちゃんと完了していないと忙しい。

ひとつは「好きでないこと」をやっているので、ああ、忙しいということになる。楽しいこと、躍動すること、わくわくすることをしていたら、どんなに過密でも、忙しいとはならないのだろう。

好きなことをしていて、それで暮らしていけるのが達人の境地。ぼくなど凡人は、好きじゃないことを、いやいやがんばって、耐え忍んでやることになる。ので、忙しい。そして、心身が疲労する。やがては、病気となって動けなくなる。あるいは事故にあったりする、のかもしない。

仕事は仕事。約束はきちんと果たさなくちゃいけない。放置すれば信頼を失う。収益の道も閉ざされる。なので、がんばることになる。でも、がんばれない。

仕事は仕事として、いかに楽しくやれるか。遊びのようにやれるか。いかに躍動できるか。そこは、やはり心の持ちよう・ありようである。なにしろ、とりこし苦労や先案じというものの占める割合が多いからね。

なので、心のスイッチの入れ替え次第。そうして、祈りである。ビジュアライズでもある。現実の引き寄せ力である。おまかせ力でもある。

「雨よ降らないでほしい」という祈りもたいせつ。「雨が降っても大丈夫。備えがあるからね」という生き方もたいせつ。しかし、備えはついには完了しない。いつも未完了。

いちばんいいいのは、「どうぞどうぞ、雨さん降ってね。晴れてもオッケー、雨でもオッケー。なにがあってもオッケー」という生き方。そこにいたるには、いろいろ学ぶ道がまだまだある。