過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

カイシャ人生を離れて、この山里で農業や創作やアウトドア・スポーツに打ち込むひとたちの話も聞いてもらった

家賃は、と聞くと。1DKで7〜8万円という。これに食費がかかる。外食が多いだろうし、遊ぶのにも、着るものにも、通信費にも交通費もいる。そうなると、月に10〜15万円はかかる。大学に払う入学金、授業料、施設利用料など4年間で400〜500万円。

東京の世田谷区にある駒澤大の学生たち40名が春野に滞在して、集中講座を受けてもらった。出身はどこ?と聞いていくと、地方から出てきた学生たちは、3割くらいいるようだ。そこで、生活にかかるお金のことを聞いてみたのだった。

生活費と授業料でかるく1,000万円くらいかかることになる。親はたいへんだ。それだけお金をかけて、価値を生むことができるのかどうか。そこの出身だということで評価される大学なら、それでも強みがある。しかし、これだけ日本中にたくさんの大学があると、大卒の意味はさほどない。なにしろ全国の私大の45%は定員割れしている、というのが現状だ。

それでも、4年間みっちり学べば価値を生むだろう。だが、いまの大学の、やれ政治学、経済学、法学だのというのは、社会に出て役に立つのかどうか。社会に出て役に立つとしたら、英語とか中国語とか、話せる読める。パソコンができる。インターネットを自在に活用できる。ちゃんとした文章が書ける。ひととのコミュニケーションができる。そういう実学か。

まあそういうものは、社会に出てから養われるものかもしれない。そのための基礎的な修練が大学での学びということになるのか。でも、なっているのかなぁ。それにしても、1,000万円ものお金をかけて、大学に通うほどの意味があるかないか。

いい大学を出れば、たしかにいいカイシャに入ることができる。ちゃんと勤めれば、それなりに出世して、給与も保証される。安定した暮らしができる。しかし、そのカイシャがダメになったら、そうはいかない。あるいは、カイシャをやめて独立しようとしたら、難しい。となると、カイシャ人生をずっと歩まざるをえない。

カイシャ人生をはなれて生きていくためには、やはりなにか人とはちがった「ワザ」をもっていないといけない。「十年一剣を磨く」。そのためには、自分の得意な分野を知ること。得意なところでないと、勝てることはない。そのためには、好きなことを見つけなくちゃいけない。好きなことなら、ワザは磨かれる。好きなことなら、努力は惜しまない。努力はいらない。仕事と遊びがおんなじになる。

だから結局のところ、好きなことを発見し、深め、ワザを磨いていく。そこがたいせつだと思う。そのために大学に行く必要は、さほどないと思う。むしろ、いろいろな仕事を体験する。あるいは、海外に旅をする。山里に暮らしてみるというのも、ひとつの道かもしれない。

そして、今回の「春野カフェ」の集中講座では、カイシャ人生を離れて、この山里で農業や創作やアウトドア・スポーツに打ち込むひとたちの話も聞いてもらった。たんなるお話ではなくて、生き方を示すことなので、そこはなかなかインパクトがあったように思う。