過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

お経のタイトルのはなし

お経の話。お経はブッダが説いた教えを、滅後に弟子たちがまとめて伝承していったもの。けれども、ブッダの教えとは、かなり逸脱、あるいは超越したものが多い▲厳密にいうと、大乗仏教の教えは、ブッダその人が説いた教えとは言いがたい。なにしろ、ブッダじゃなくて、阿弥陀如来とか、大日如来とか摩訶毘盧遮那仏などが出現するお経もある。それはそうだなぁ。ブッダの滅後、数百年たってからつくられているわけだし。

ま、そのことは別の機会にかたるとして、インドで成立したお経は、中国を経由して日本にやってきた。中国では、鳩摩羅什玄奘三蔵やら、たくさんの法師たちがサンスクリット語から中国語に翻訳した▲で、そのとき、うまく中国語に訳せないものは、そのまま音訳した。SPOONを「匙」と訳さないで、スプーンとそのまま音訳すようなもの▲呪文・真言=マントラみたいなものは、訳すと力がなくなるし、もとの発音そのものが大切ということで、そのまま音訳された。般若心経の「ギャーテイ・ギャーテイ」とか、密教の「アビラウンケンソワカ」みたいなものだ。

お経のタイトルには、サンスクリット語の音訳と中国の意訳が合体したものがみられる▲有名な「般若心経」は、厳密には「摩訶般若波羅蜜多心経」である。摩訶は、マハーというサンスクリット語の音訳。偉大な、大きいという意味。般若は、プランニャーとかパンニャーの音訳。意味は、悟りにいたる智慧波羅蜜多は、パーラミタの音訳。意味は、完成。フリダヤは、エッセンスとして心と意訳。経は、スートラの意訳▲ということで、「般若心経」は、サンスクリット語の発音と、中国の意訳が合体したお経。意味は、偉大なる智慧の完成の教え、みたいなものだと思う。

ちなみに「法華経」は、「妙法蓮華経」のこと。こちらは、サッダルマ(真実の教え=妙法)、プンダリーカ(白蓮華)、スートラ(経)と、すべて中国訳だ。白い蓮の花のような真実の教え、というような意味▲こうやって、じゃあ「阿弥陀経」は、「無量寿経」は、「勝鬘経」はと、みていくとおもしろい▲さらにその中身は、ちゃんと訳されているのかというと、これがいろいろとあるんだと思う。中国では翻訳してしまうと、廃棄してしまったのか、まったく原典が残っていないからややこしい。で、後世になって、各地から出土したインドのお経と翻訳されたものとを比べてみると、無理して訳したところ、まったく超越して訳してしまったところ、いろいろとある▲だが日本では、漢訳されたお経そのものが、ブッダの金色の説法として、「一一文文皆是真実」ととらえていたのである。