過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

さて四十九日法要だ

母の葬儀が終わった。その後でも、やることがたくさんある。香典の計算をして住所録をつくり、香典返しの準備。役所への届け出、名義変更などの諸手続き。そうして、四十九日がそろそろやってくる▲さて、法要はどこでやろうか、親戚のだれを呼ぶ、会食はどこで、などいろいろと決めごがある。本位牌をつくったり、墓石への彫刻の手配、塔婆はどうするとか、こまごまとある。それらが終わったら、相続の打ち合わせだ。

ぼくが喪主なので、わがやで法要をするのがいいのだが、なにしろここ山里は遠すぎる▲というので、市内のホテル内の和室で行うことにした。お坊さんはよばないで、ぼくがお経をよんで法要を営む。母の好きだった歌をみんなで歌う。生花をすっきりとシンプルに活ける▲その後、墓園に移動して納骨。こちらもぼくがお経をよむ。そして、みんなで会食して解散という流れ。

葬儀もそうだったが、お坊さんをよばないので、自分のペースでかなり自由にできる。そもそも遺族が、自分たちで故人をおくるようになればいい。子が親をおくるのがいちばんいいと思う▲故人のことをなんにも知らない他人のお坊さんに、おくってもらう必要はない。そもそも、故人をおくる〈特別な力〉がお坊さんにあるわけじゃないしね。故人をしのぶ心がいちばんたいせつなこと。だから、葬儀も四十九日も、そしてお盆も、回忌法要も、自分がやればいい▲それに、お経も説法もヘタクソで心の入っていない坊さんも、わりといるからね。戒名だって、いらないよ。お坊さんは、戒名法名大事典とか、戒名ソフトなどをつかってつけたりしているわけだしね▲……まあしかし、これ、普通はなかなか難しいことだろうな。葬式仏教の伝統が、何百年も続いてきたからね。