過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

大げさにしないで、あたりまえに普通に接すること

スマナサーラ長老のおはなしで、もひとつおもしろかったもの▲それは、神さまに参拝するときのこと。長老はもちろん仏教徒だが、神社にも参拝することがあるという。いろいろな神社に行くと、みんなが助けてくださいとか、必死でお願いごとをしたりしている。だから神さまに対しては、「いろいろとみんなにお願いされて、あなたもたいへんですねえ、とそんな気もちなんです」という▲神さまにはお願いはしない、なにか人生の大先輩のような気もちで、友だちのような感じで接するのがいい。そうすると、神さまのほうから、とってもいい波動がきて、こちらは楽しくなってしまうのだという。

神さまというと、なにか仰々しく、拝み方とか作法とか、たくさんあってとっても重厚なものが漂う。で、恐れ多いものとして敬う、というあり方もあるけど、神さまをそんなに恐ろしくて厳しくて、ものすごい存在と考えないのがよいのかもしれない▲人生の先輩のような気もちで、普通に接するのがいいのかもしれない。でも、非礼はよくないけどね。

死の間近な友人かの見舞いについて、長老にアドバイスを受けたことを思い出した▲いくら死が近くても、本人にはちゃんと誰が来たのかわかる。だから、深刻で、さもたいへんそうな雰囲気で見舞ったりしないほうがいい、という。友人として、いつもの付き合いの時のような感じで話しかければいい。こないだこんなことがあってね、こんなだったよ。そんな話があって、笑っちゃってね、……とそんな普通のほうがいいんだという▲ま、長老といろいろとお付き合いさせてもらって、深刻な事態に遭遇したことがなんどかあった。たしかに、そのたびに長老は普通の感じでお茶目にその場を和ませていたなあ。〈大げさにしないで、あたりまえに普通に接する〉というのが、大切なんだと思う。これいちばん難しいことだけどね。