過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

「行政経営諮問会議」の論文つくり

「行政経営諮問会議」の論文つくり。論文といっても1000字だ。一次審査基準は、「1. 市を良くしていこうという視点からテーマを捉えているか」「 2. 成果を期待できるような内容が具体的に述べられているか」「 3. 社会状況や本市の状況を理解しているか」「4. 文章及び文章構成がしっかりしているか」の4点。

財政政策、資産経営がどうのということをぼくが語るのも等身大ではない。「成果を期待できるような内容が具体的に述べられているか」というところからは、遠くなる。ということで、この過疎地に暮らして、定住促進をしていこうとする現場からの声を伝えるかなと思った。ということで、いま叩き台ができた。こんな感じの文章だ。

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東京暮らし40年、山里の暮らしに憧れて春野町に移住して4年になる。仕事は、医学書と仏教書の編集と執筆をしている。

こんな山里でもインターネットがあれば、仕事も、買い物も、仲間づくりも、さほど不自由はしない。生活コストは安い。豊かな自然を味わいつつ暮らせる。地元の達人や名人から多くを学べる。

ところが、春野町に越してきたとき、「こんなところによく越してきたね」と言われた。いまでもそう言われる。地元の人たちは、この山里の歴史に対する関心、愛着、自信が少ないのかなと感じた。

いまの北遠のありようは明るくない。過疎・高齢化は著しい。企業誘致は進まず、仕事はない。廃校は進むいっぽうで、子育て世代は住まない。林業は衰退し、間伐されない杉ヒノキは密集して暗く、多様な生物が暮らせない。保水力のともなわない山林は、がけ崩れなどの自然災害をもたらす。

行政コストは高くつくばかりで、このままでは北遠は市のお荷物となってゆく。
だが、住民に危機意識は少ない。合併して、住民サービスが落ちたと不満をもつ人はいるが、お金のある浜松市だから、なんとかなるだろう、と思っている。

そんな北遠に〈可能性〉はないのかというと、そうでもない。いま、着実に田舎暮らし志向の人たちは増えている。『里山資本主義』もベストセラーだ。農業や林業に携わりたいという若者にも出会う。着実に山里暮らしのトレンドはきているのだ。

この動きを、北遠の活性化のチャンスととらえたい。企業誘致などの「ないものねだり」よりも「あるものさがし」。山里の暮らしの可能性と豊かさを伝えることだ。

定住がすすめば、山里に活気がもどってくる。移住者は土地を買い、家を建てる。古屋を改築する。耕作放棄地を開墾する。あたらしいネットワークがはじまる。

だが、座して待っても移住者はやってこない。打ってでることだ。ウェブや広報誌をつかい全国に発信する。観光や物産ではなく、なにより、「人と暮らし」を伝えること。それが、魅力発信になり、定住促進につながる。

都会に出かけて北遠を売り込む。暮らしのを伝えて相談にのる。負の遺産の『空き家』を、山里暮らし希望者につなげてゆく。空き家バンクを作る。ワンストップの空き家コンシェルジュを設ける。そうした移住者の気持ちにたった施策がほしい。

もっとも肝要なことは「仕事づくり」。企業のための基盤整備が望まれる。現状は、光ファイバーも敷設されていないので、IT企業の誘致も、フリーランスで仕事をする人も二の足を踏む。また、若い世代の一次産業希望者には新規就農支援、移住補助、ローコストの住宅の提供など、やることはたくさんある。

北遠に暮らす者として、北遠の活性化についてだけを述べた。ともあれ、全国から北遠に若い世代が移住してくれるような政策がほしい。そのことが、浜松市の都市経営に結びつくと思う。