過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

夢を語るのは楽しいけれども

夢を語るのは楽しい。うんうん、なるほどいいね、と共感してもらえるとさらに楽しい。夢とか構想を語るのは、いろいろな意見を聞いて、反応を得て、もっといいアイデア、実現のヒントをつかもうとするためだ▲だから、打てば響くような、いい反応がかえってくる友がいると、とてもありがたい。そうなんだ、ふーんだけで終わるような人とは語る気がしないからね。

ところで、ぼく以上にいつも夢や構想を語る人がいる。会うたびに次々とビジョンを描いている。そして、行動力もある。楽しそうだし、その軽やかさ、フットワークの迅速さに感心する▲こういう人は、厳密に実現しようというところに立っていないのかもしれない。着地はラフだ。少々いい加減でもいいのだという楽観力に支えられている。そういうところは、学びになる。

ただ、いつも構想を聞いていると、ちょっと飽きてきた。それは、かれは自分の夢ばかり語って、相手の夢に対して関心が薄いからだろう。ぼくは基本、人の語ることを聞くのが好きなほうなので、いつも聞き役・インタビュアーの役割なんだけど。一方的に夢ばかり聞かされると、食傷気味となる▲たがいに夢を語りあい、なるほどそれもいいな、その提案はこういうふうに生かせたら楽しいね、という建設的な語りあいにならなければ楽しくないからね。

お互いのありように共感する、分かち合おうとする、そのあたりが人間関係のたいせつなポイントかな。あなたのことを聞きたい、もっと知りたいと思っているという誠実な関心を寄せること▲たくさん夢を語り、企画をならべても、それは自分自身にしか関心がないということになると、やがて人は離れていくことになる。自戒を込めて書いた。