掃除というと、地味でおもしろくない仕事のように思える。学校で罰掃除させられたこともある。掃除には、なんだか苦痛でつまらない、程度が低いというイメージが付着しているかもしれない。
ところで「婦」という字は、女が箒(ほうき)を持っているかたちだ。だから、この字は女性を家事労働に縛りつける封建性の現れだ、差別的だ、追放すべし、という人もいる。
だが、白川静氏の象形文字の研究によれば、「掃除」とはそもそも祭壇を清めるという宗教的な行為ということになる。
「箒」は酒をそそぎ祭壇を清める束茅で、悪霊を祓い神霊を招くもの。箒によって廟(みたまや)を浄め、祖霊に仕える神聖な行為をするのが「婦」の意味という。
ともあれ、浄めるためには、まずは掃くことだろう。ごちゃごちゃした汚れたところに、神はいそうにない。代わりに、低級霊が住みついてしまうかも。だから霊的な意味で、限りなく掃き清めることが大切なのだと思う。
掃除をすると、浄まるのはたしかに実感する。空気まで浄まってスッキリする。重たい想念とか、マイナスのエネルギーまでも浄めてしまうのだろう。掃除は、その空間のエネルギーを管理することにもなるような気がする。
ただ、いやいや・不満たらたらでやっていたら、そのマイナスのエネルギーをあたりにまき散らすことにもなってしまう。
掃除そのものが、修行になり、神聖な行為になりうる。自分の心を磨いていくことにもなるんだと思う。