そのおじさんと話していると
松韻亭の庭を歩いていると、箒で落ち葉を掃いているおじさんがいた。春でも落ち葉があってたいへんですねー、と声をかけたところから、立ち話がはじまった。
そのおじさんと話していると、話題は平家物語から、龍樹の中論にまで及んだ。「生をあきらめ、死をあきらむるは、仏家一大事の因縁なり」と道元の『正法眼蔵』を語り合った。
礼服を着てじゃーんと現れた
かつて、大磯で隠れキリシタンの展示品のおいてある礼拝堂を訪ねたとき、入り口で掃除をしているおじいさんがいた。
気軽に声をかけたところ、言い方がぞんざいだったので、その方からこっぴどく叱られた。そして、ノモンハンの戦争体験のことから、いろいろとお話を聞かされた。
そのあとにその礼拝堂に入ると、そのおじいさんが、礼服を着てじゃーんと現れたのには、おどろいた。その教会の神父さんだったのだ。そうして、懇切丁寧に、隠れキリシタンの遺品を一つ一つ説明してくださったのだった。
そんな体験があるので、掃除をしている普通のおじさんおばさんには、要注意なのだ。ただ者じゃないひとがいるからね。