先日、「文学療法」の取材で、鈴木秀子先生から、ちょっとセッションをしてもらった。
まず詩を声を出して読む。つぎに母のイメージを描くのだ。こういう詩だ。
ゆうぐれ
瞳をひらけば
ふるさとの母うえもまた
とおくみひとみをひらきたまいて
かわゆきものよといいたもうここちするなり
(八木重吉「母の瞳」)
この詩の響きに応じて、クレヨンで描いていく。すると、子どもの頃の朝の風景が出てきた。
夜明け前の薄暗い部屋。六畳間に、姉二人とぼくが寝ている。やがて、木の雨戸の節穴から光が射してくる。真っ直ぐな光の投射のなか、ホコリがきらきらと光る。
やがて母がやってきて、雨戸をガラガラと開ける。「朝だよ、起きなさい」。光が部屋一杯に満ちて、まぶしい。
布団をたたむと掃除が始まる。母は白いカッポウ着、頭に手ぬぐいをかけている。濡れたお茶っ葉を畳の上に蒔く。
ざっざっと箒で掃いていく。ホコリは舞い上がり、きらきらと光のダンスをしている。
母は、夜明けとともにやってきて、朝を告げる。すまいを掃き清める。
逞しく地に足をつけている。背後には光のつぶつぶが舞っている。母の理想的な原風景だと思った。