過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

夢からメッセージをもらう


三枚の絵がある。

一枚は、大勢の見知らぬ人が、わたしが寝ている部屋を勝手に通っていく。「ここはおれの部屋だ」と怒っているわたし。でも、そんなことはお構いなく、「いつもおれたちは、ここを通っているんだ」と、どかどか人は通っていく。



一枚は、海を見ていたら、次から次へと船が通っていく。たくさんの船で、止むことがない。もう一枚は、山登りでたくさんの道があって迷っている。

これらは、かつてが描いた夢の絵だ。片付けをしていたら出てきた。もう20年も前のものになる。

この絵を見ていると、自分の道が見あたらないサラリーマン時代が思い出される。つらかったなぁ……。

追い立てられて居所のないような不安、決断できない焦り、コントロールできない虚しさ、みたいなものが感じられる。

夢はできるだけ記録に残している。イメージの残存風景が消えぬうちに。文章は書いているうちにリアリティがしぼんでしまうので、描いている。

絵にしておくと、漠然とした「なにか」がそこに現れる。「なにか」は、その時はわからないが。

あとから「なるほどそうだったか」とわかったりする。あるいは、心の底の悲鳴が現れていて、その当時の深層心理を追体験する素材にもなる。あのときはこんな自分だったなあと、自分を探求する糸にもなる。

夢は、なにか深いところから、自分自身にメッセージを伝えようとしている。それは明晰なものではない。イメージの力をもって伝えてくる。そのイメージを表しておくと、あとからおもしろい。