過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

【思考の止まるところ——わからないという突破】2025.10.30

【思考の止まるところ——わからないという突破】2025.10.30

「みなさん、みえますか。海が。この人の概念の海が。
この人は、いかに日常の暮らしの中で、目の前のことに生き生きと挑戦していないか、冒険していないか。
それがわかりますか?聞こえますか?」

そう言われた。

トレーナーはたった一人。ハワイで医者をしていたという60代の女性。日本人だけれども、アメリカ生活が長いため発音がアメリカ人っぽい。ナミさんという。

受講生は200人くらい。やることは、じっと椅子に座って、朝から夜まで徹底した問答のみ。

トレーナーが受講生に問いかける。
受講生がそれに対して答えたり反論する。
そしてまたトレーナーが質問する、そして答える‥‥延々とやる。一対一の問答だから、他の人は聞いているだけ。

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エスト・トレーニング(Erhard Seminars Training)というセミナー体験。当時は「フォーラム」といっていた。現在はランドマークという。
ワーナー・エアハードがつくったトレーニング法だ。
エストとはessence(本質、であるということ)の意味も含んでいると思う。

セミナーの目的は「人間の探求」「人間であるの〝ある〟の探求」というものだった。

32歳の頃、受講した。自己啓発セミナーが流行していた時代だ。

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私は、いろいろごちゃごちゃと反論したり、トレーナーとよく問答をしていた。頭でっかちで理屈っぽい、考えることが大切という生き方をしていた時代だ。

私「デカルトの言うように、我思う故に我あり、自分が考えているということが自分の本質と思います。」

トレーナー「あなたは、考えることが自分の本質と思っているんですね。では、いまここで自分で自分の考えを止めることができますか?」

私「え?‥‥いや、できません。」

トレーナー「考えを止めることができない。できないのならコントロール不可能ということです。コントロール出来ないのなら、それは自分のものではありませんね。『考えることは自分ではない。考えている自分は自分ではない』わかりますか?」

私「わかりません。何をいっているのかさっぱり。」

以後、どうたらこうたら、延々とやりあう。他の受講生から「もうやめなよ」と声が出る。わたしはすこし怯んでやめようとした。自分のためにみんなの時間を奪っているような気がして。

トレーナー「あなたは、いま他の人から言われてやめるようにしましたね。それに気づいていますか?」

私「え?はい、気づいています。」
トレーナー「どうしてやめたのですか」

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ストーリーよりも、それを生み出すコンテクスト(文脈)を問うてくる。

とっさにあらわれる反応、そのメカニズムに踏み込んでくるのだ。以後、延々と問答が続く。
すると、トレーナーが受講生たちに言ったのが、冒頭の言葉であった。鮮明にそれは覚えている。

当時は、まったくなにをいっているのかわからなかった。

わかろうとするから、よけいにわからなかった。なにがどうわからないのかすら、わからなかった。

トレーナーから「わからないという不安とともにいなさい」と言われた。
それが、わかってきたのは数年後だった。

とくにインドの放浪の体験で、「わからないという不安とともにいなさい」という言葉は響いた。

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自分にとっては、エストはものすごいきっかけになった。

「であるべき」「こうしなくちゃ」という固定観念を持たずに暮らすことのダイナミズムを体感した。

エストの背景には、原始仏教の教えがあり、さらには、サイエントロジーがあり、エサレン研究所の成果がある。くわえて、アメリカのプラグマティズム。ワーナーのビジネスマンとしての優秀な力があったろう。

原始仏教、すなわち無我というところがベースにあると思われた。無我=無常。
瞬間瞬間、変化してやまない。すべてのものが。自分自身も。それこそがリアリティ。
それはある意味では、とても創造的なこと。どんな状況も変化するから、ブレークスルー(突破)できる。

ブレークスルーのための大切なことは、コミットメントであり、コミュニケーション。とくにエストでは、「ことばの力が自分を引っ張る」という。「コミュニケーションで解決できないものはない」と。

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エストは、「宣言」ということを言っていた。宣言は根拠がなくてもいい。たとえば「やる」というだけ。その言葉が自分を引っ張ってゆく。
自分が機関車だとしたら、自分でレールを敷きながら、自分で内燃機関を燃焼させながら、自分という機関車を動かす、と。
「コミュニケーションで解決できないものはない」というのは、ひとつの宣言。正しいとか間違っているという世界ではなく、そうだというあり方。

エストは他の自己啓発セミナーとちがって、圧倒的に深淵だった。
ゆえに、なにを言っているのかわからない。わからない、わからない、わからないでずっと来ていた。

が、それが実は突破の道でもあった。
たとえば、宗教は、わかったと思ってしまう。教義とか教学をやると、いちおうわかったと思いこむ。あるいは学べばわかってくると思い込む。そこのところで詰んでしまう。

しかし、まったくわからない、わからないというのはまったくわからない、それが自分を引っ張ってくれる。可能性を開いてくれる。突破がある。
わからないってところが、可能性を開いてくれる。突破がある。このあたりのコツがわかっただけで、エストは大収穫だった。