【ニューエイジ・ムーブメントを俯瞰する】2025.10.30
ニューエイジ・ムーブメントの「大きな時代の地図」を描こうとしている段階だ。
そこに私が経験してきたセミナーやインド体験を織り交ぜ、「精神史のドキュメント」へと深めていこうとしている。
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わたしが30歳の頃、つまり1980年代には、自己啓発セミナーが大ブームだった。
「ライフダイナミクス」「ビーユー」「iBD」「フォーラム」など、各種セミナーが全国各地で開催され、多くのビジネスパーソンや学生が参加した。
これらの自己啓発セミナーの背景には、1960年代のアメリカ西海岸で起きたヒューマン・ポテンシャル・ムーブメント(Human Potential Movement)がある。
この運動は、「人間にはまだ開発されていない潜在的能力がある」とする思想に基づき、心理学・セラピー・身体技法・東洋思想などを総合的に探究する潮流だった。
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起点のひとつとなったのが、カリフォルニア州ビッグサーに設立された「エサレン研究所(Esalen Institute)」である(1962年創設)。
ここでは、アブラハム・マズロー、カール・ロジャース、フリッツ・パールズ(ゲシュタルト療法)、アレクサンダー・ローエン(バイオエナジェティクス)など、多くの心理学者・セラピストが関わり、従来の精神医学を超えた「人間性の回復」をテーマにした実験的セミナーが行われていた。
また、戦後のアメリカ社会でPTSDに苦しむベトナム帰還兵の心のケアにも、これらのセラピーが応用された。
このヒューマン・ポテンシャル運動がプログラム化される形で誕生したのが、1970年代のエンカウンター・グループやESTなどの自己啓発プログラムである。
それらが1980年代に日本に導入され、「ライフダイナミクス」「ビーユー」「iBD」「フォーラム」など、ネットワーク型・紹介制を特徴とするセミナー群として急速に広まった。受講生が次の受講生を誘う「ピラミッド式拡散」が特徴で、一種の社会現象となった。
私も「ライフダイナミクス」「ビーユー」「フォーラム」を受講した。
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1980年代後半になると、こうした自己探求の潮流はスピリチュアル志向と結びつき、「ニューエイジ・ムーブメント」と呼ばれる文化的現象へと発展する。
大きな契機となったのが、1986年に日本語訳が出版されたシャーリー・マクレーン著『アウト・オン・ア・リム』(山川紘矢・亜希子訳/地湧社)である。
この書籍はハリウッド女優の自己探求とチャネリング体験を描いたもので、全米ベストセラーとなり、日本でも精神世界への関心を一気に高めた。
その流れの中で、アメリカのチャネラー ダリル・アンカが、宇宙存在「バシャール(Bashar)」をチャネルする講演を行い、1980年代末から1990年代初頭にかけて「チャネリング・ブーム」が到来する。
同時期に、インドの聖者サティヤ・サイババの奇跡が話題となり、「サイババ・ブーム」も広がった。
また、インドに伝わる「アガスティアの葉」――個人の運命が記されているとされる伝承――を求めてインドを訪ねる人々も現れた。私も「サイババ」や「アガスティアの葉」にも出かけた。
こうした動きより前に、すでにOsho(バグワン・シュリ・ラジニーシ)、ジッドゥ・クリシュナムルティ、ラム・ダス(リチャード・アルパート)らの著作が日本でも翻訳出版され、「瞑想」「意識」「悟り」といったテーマが市民レベルで語られるようになってきていた。
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しかし1995年、オウム真理教による地下鉄サリン事件が発生。
この事件を境に、「宗教」「瞑想」「ヨーガ」といった精神的実践が社会的に強い警戒感を持って受け止められるようになる。
以後、ニューエイジや精神世界関連の活動は急速に縮小し、精神世界ブームは一時的に沈静化した。これは単なるブームの終焉ではなく、文化としての精神探求そのものが社会から一時的に封じられたともいえる出来事だった。
この“沈黙の時期”は、約20年にわたり続くことになる。
1980〜2000年代における「精神世界」や「自己啓発」文化の全体像を、個人史を超えてざっくりと俯瞰的に描き出ししてみた。当時の「空気」を知らない若い世代にとって、極めて貴重な「地図」となりうるかと思う。
この視点をさらに発展させ、現代の「マインドフルネス」「スピ系」ブームとの連続性と断絶を論じていければと思っている。