過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

自分しかできないことをやっていこう。足元の明るいうちに。

「もうダメだ。食べられなくなったよ。池谷さんの投稿はかならず読んでいる。イイネをいつも押しているけれど、ほくのイイネがみつからなくなったら、もう死んでいると思ってくれ」と。
田舎暮らしをしたいというギタリストのMさんから電話だった。
一ヶ月後、イイネは消えた。
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もはや重篤というクリスチャンのAさんに電話した。
「もう声がでないよ。死ぬ前に賛美歌の320番を歌いたいんだけれど」。
──じゃあ、ぼくがうたうよ。〝しゅーよ みもーとに ちーかづかん‥‥〟
「ありがとう、池谷さん。もうおしまいだ。ありがとう」
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そんなことがあったなあ。この10年くらい、なにげに電話するってことがなかった。
年賀状は出さないし、返事も書かないし。
田舎暮らしで田んぼやったり、もういろいろあれこれやりすぎた。そして、あかりが生まれてからは、さらにあれやこれと、さらにはデイサービスを経営したりと、まったく余裕がなかった。
ここへきて、古民家の改修にはいるために、いま一人住まいになっている。
と、すこし時間があると、かつての友達に電話してみるのだった。
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おお、ひさしぶり、と話が弾む。
特に用事がないやりとりがおもしろい。
しかし、まったく応答がない友もいる。
もう亡くなったとも聞いたりする。そりゃそうだ、13年間もやりとりなければ。そして、みんな高齢になっている。
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10年というのは大きいね。
あと10年後、友もそうだし、自分もこの世にいないかもしれない。
いや、日本そのものがなくなっているかもしれない、とも思う。
やりたいことを、やれることをやっていこう。
自分しかできないことをやっていこう。足元の明るいうちに。