ひさびさにインドの旅の体験。インドは、いくたびにディープ。すこしずつ思い出して書いていく。
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私はかつてはサラリーマン。会社では、海外との貿易、ドイツとイギリスの生産手配、海外物流コストダウン、株主総会対策など、いろいろやらせてもらえた。しかし、どれひとつ得意なものではない。会社の看板あってこその仕事。自分の看板で、食ってはいけない。
しかし、会社はやめてしまった。おもしろくなかったからね。ところが、困惑した。
「何しようか、どうやって食っていくか。なにが自分の土俵なんだろう。そもそも何が好きなんだろう」
偏差値教育とサラリーマン社会にどっぷりだったから、そうした問いは自分に発したことがになかった。会社員をやめてみると、いろいろな仕事があることがわかった。松竹歌舞伎座で小道具係みたいな仕事、興信所みたいに会社のリサーチの仕事、電通の下請けで広告効果の測定調査、真珠の養殖と営業も勧められた。
若かったからね、可能性はいろいろあった。日本もバブル真っ最中だったし。
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ともあれインドに旅しよう。三年くらい放浪だ。そしたら、なんとかなりそうだと思ったが、やはりやめた。なにしろアテもない(結局インドには13回でかけたけど)。
静寂な地と思いきや、いかにも喧騒の地だった。日本人は金持ちということで、わっと寄ってくる。いきなりインド人から「セタガヤ、アサガヤ、ブッダガヤ」みたいなこと言われた。
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人の群れを離れて、粗末なレストランで食事した。そこに西洋人の坊さんがいた。なかなかカッコいい。チベット仏教の濃い臙脂色の衣を着ている。めずらしいので声をかけた。
デンマークの人で、元はドライバーだった。
出家したのは、ある坊さんに会ったのが機縁という。
どんな体験か。
その坊さんに出会い、「質問しようとする時、不思議と自分の中から次から次へと答えが湧き出てきた」というのだ。それで出家したんだ言う。
───へぇぇ、そんなお坊さんがいるのか。会ってみたい。
「たまたまいま、ブッダガヤに来ているぞ。会うこともできる。」
───へええ、僕みたいなものでも会ってくれるかなぁ。
「もちろんだとも。会ってくれるよ。カルマテンプルというところだから、朝から訪ねるといい」
ということで、翌朝、でかけた。入り口には、面談するために行列。ほとんど西洋人ばかり。ぼくは、最後尾だった。
しばらく待ってやっと順番が来て、部屋に入れてくれた。
そこには、年老いた坊さんが、ベッドの上に坐っていた。体がよくないらしい。かたわらには、通訳の西洋人がいた。
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ぼくは、つまらん質問をしたものだ。なにしろ英語力が低いので。
───まず、小乗と大乗の違いは、なんですか?
「小乗はselfがemptyness、大乗はeverythingがemptyness。それを修行でつかむのだよ」
うむ。もっと聞きたいけれど、英語力が追いつかない。それで、次の質問。
───私は東京でサラリーマンしていて、どうも満ち足りていません。そんな私にアドバイスを。
「あなたは出家しなさい。いまこの場で」
即座に言われた。
「さあどうだ。出家するか。真に自由になりたかったら、いまここで出家しなさい。でないと、インドの水牛みたいになるぞ。かれらは、鼻に輪っかをはめられて、行きたいところにもいかけず、こき使わている。そのままだとそういう人生になる。出家をしたら、真に自由になるのだ。
それにおまえは、見込みがありそうだ。いい坊さんになる。そして、チベット大蔵経を日本語に訳してみないか。」
はぁ? なんと、唐突な。いくらなんでも、出家とは……。覚悟がいる。
───いやそのぉ、いくらなんでも急すぎて。ぼくは若くみえるけど、36歳だし。日本に帰ってから考えます。
その程度の答えしかできなかった。
通訳の西洋人が、にまっとして「おまえの干支は巳年か(Snake)か」と聞いた。
「そうだよ」と答えた。たぶん、その人も同い年だったのかもしれない。
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そこで「はい、出家します」と、チベット仏教の道に入っていたら、ずいぶんと今とは異なった人生になっていたなぁ。
出会いを活かす活かさぬは、ひとつの大きな決断。電光石火の瞬間だ。
日本に帰って後で知ったのは、その年老いた坊さんの名前は、カール・リンポチェといった。チベット仏教の一番大きな派であるカーギュ派のトップの人だった。ダライ・ラマの養育係も務めたことがある。
お会いして一ヶ月後に、カール・リンポチェが亡くなったことを知った。それは、書店でなにげにオウムの雑誌『マハーヤーナ』というのをめくっていたら、「尊師の前世のグル、カール・リンポチェが涅槃に入った」と書かれてあったことから知ったのだ。
なんと、あれからすぐに亡くなったのか。
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麻原彰晃は、カール・リンポチェが前世のグルであったと言い、尊敬していたのがわかった。中沢新一も、カール・リンポチェほどの人が認めた麻原は本物だ、みたいなことを「SPA」という雑誌で語っていた。
それから3年後。再びインドを訪ねた。目的は食品会社の社長を連れて行くことであった。その人は、「玉置神社の奥に眠っているアークを掘り起こす。しかし、そのためにマザーテレサに会ってこいというお告げがあった。それで、会わせてもらいたい」というのだ。ま、これは別の機会に投稿。
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カルカッタでマザーに会い、ほんのすこしおはんなしをさせてもらった。しかしカルカッタがあまりに暑いので、避暑地の高地であるダージリンに移動した。さらにその山奥の中、シルグリーというところでカール・リンポチェが転生したことを知った。
わざわざ山の中のテンプルを探し求めて、再会(といっても3歳の子どもだ)したことがあった。
ダライ・ラマが、数か月前にその地を訪ねて、元の師匠であるカール・リンポチェの転生活仏に会い、3つになる子どもに対して、五体投地して礼拝した。その姿を見て人々は、みな涙を流したという。
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「真の自由を得たいなら出家しろ」
これは、イエスの次の言葉にも通じるものがある。
「もしあなたが完全になりたいと思うなら、帰ってあなたの持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、わたしに従ってきなさい」。 この言葉を聞いて、青年は悲しみながら立ち去った。たくさんの資産を持っていたからである。
それからイエスは弟子たちに言われた、「よく聞きなさい。富んでいる者が天国にはいるのは、むずかしいものである。 また、あなたがたに言うが、富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」(マタイによる福音書)
ぼくの場合、金はなかったが自由はあったので(あると思っていた)、その自由を奪われそうな出家生活などできっこないと思ったのであった。