過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

通訳をしたインド女性からみた日本のお坊さんたち

ひとり暮らしの友人が、来月一ヶ月間、インドに行く。心配なのが猫の世話。

当初、マヤ暦を研究しているカップルが住んでくれることになっていた。しかし、かたほうがコロナでダウン。その後遺症で無理ということになった。

やはり近所の方にお願いするのがよい。ということで、東インドベンガル出身のスワルナーリさんを紹介した。快く引き受けてくれた。

お訪ねすると若いときの写真があった。とても美しい。

中東情勢のこと、インド哲学、神々のことなど、たくさん語り合った。
そのあたりは、難解な哲学になるのでまた別の機会に。
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で、これはおもしろいエピソードとして。

スワルナーリさんは、ベンガル語ヒンディー語、英語、日本語がたいへんに練達だ。

学生時代、通訳の仕事もしていた。そのときの体験だ。

外国からのお客さんがくる。

スワルナーリさんはインドの宗教や哲学に造詣が深く、いろいろな宗教にも強い関心があった。

あるときは、ラオスベトナムのお坊さんたちの案内をした。彼らの手の動き、足の運び、すべてにわたってピースフルでマインドフルネス(気づきのある)だった。「さすがに出家者はちがう」と感銘した。
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そして、次に日本のお坊さんたちがくることになった。

当時の日本は、高度経済成長で爆進中、ジャパン・アズ・ナンバーワンの時代である。

「さぞや立派な人たちが------」と思った。

出会ってみると、お坊さんたちの着ている服装は、ものすごく豪華で立派。

ところがである。

かれらの話の内容や態度は、じつにレベルが低かった。

肉は食べる。酒は飲む。ガハハと笑う。インドの女性の服(サリー)はセパレートになっていて、一部肌が露出している。あろうことか、お坊さんたちはその肌に触れてくる。またある坊さんは「今夜、ぼくの部屋に来ないか」と誘ってくる。

そんなわけで、日本のお坊さんというものは、サイテイ。イメージは大失墜。
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別の機会では、医者の学会の通訳もした。

そのときのレベルはすごく高くて驚いたという。とくにインドとドイツの医者たち。いっぽう、イタリアやスペインの医者たちは、かなり陽気でいい加減。そんな体験を聞いたのであった。