過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

浄土真宗のお坊さんとの対話⑧親鸞の血統主義

浄土真宗のお坊さんとの対話⑧

──新領解文には「これもひとえに宗祖親鸞聖人と法灯を伝承された歴代宗主の尊いお導きによるものです」とあります。ここが引っかかるところです。宗祖親鸞聖人の尊いお導きによるというのは、浄土真宗としては当然でしょうが、「歴代宗主の尊いお導き」というところ。

「まあ、たしかに」

──だって、そもそも親鸞の教えは、阿弥陀如来のもとにみんな平等。悪人も善人もない。御同朋・御同行じゃないですか。けれとども、親鸞の血統の人にしか門主にはなれない。その門主尊いお導きによるというのは、どうも権威主義に依りかかっていると思います。

「あらゆる宗教団体がそうですが、血統主義でいくと、まあ後継がいくらボンクラであったとしても、まるくおさまるという知恵が日本にはありますね」

──かなしいかな、それが現実ですね。その源泉は天皇制にまで遡ることができるかと思います。……なあんていうと、えらい攻撃を右翼から受けそうですが。

「はい。池谷さん、気をつけてくださいよ。」

──はい。家族もいますからね。
「ともあれ、〈はじめて善知識のおしえにて、一念もうせば八十億劫のつみを滅し、十念もうせば、十八十億劫の重罪を滅して往生す:歎異抄〉とあるように、善知識が大切なんですよね。それを親鸞の血統のある門主にのみ限るというような表現は、親鸞の教えとはずれているように思います」

──そのあたり、真宗の建前とは違う「差別主義」がみえてきますね。

真宗はじつのところかなり差別主義とも言えるですよ。寺格によって本願寺の内陣に入れる位置が異なっていたり。いわゆる〝穢多非人〟は本堂に入れなかったりしました。」

──そのあたり、触れるといろいろいろ出てきそうで怖いですが。(続く)