過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

布施について

宗教あるいは新興宗教というのは、どうも不施や寄付がつきものだ。

ある巨大宗教団体など「財務」という名称で100万円単位で寄付を求められるとも聞く。友人などは、「自分の家では、総額一億円くらいの寄付をした」と言っていた。ひえええ。
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かつて天理教などは、信徒は全財産を寄進してしまうことで知られた。
天理教の有名な歌、
「悪しきをはろうて 助けたまえ 天理王命(てんりおうのみこと)」
という歌を、
「屋敷をはろうて 田売りたまえ 天貧乏のみこと」
となどと揶揄された。

友人はオウムに全財産を寄付して、上九一色の道場で修行していた。まったく出家生活みたいなもので、そこは、何の心配もなく気苦労もなく、心は平安だったと言っていた。まあ、それが「とんでもないこと」になっていくわけだが。

宗教ではないが、ヤマギシなども全財産を寄進。それで、原始共産社会のような形で運営される。それはそれで、すごい。
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寄付、お布施することで、数倍、数十倍の見返り、ご利益があると思って行う人もいる。また、聖者に布施することに、たいへんなご利益があるという経典もある。あるいは、貧者の一灯という説話もある。

友人は、会社を経営していて、お布施をばんばんしていた。そして、たくさんの功徳を得ていた。それで事業も拡大していった。バブル時代だったということもあるが。
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布施とか寄付というのは、効果があるとしたら、どうしてなのかなあ。

ひとつは「執着心をなくす」ってことかな。とくに、お金に対する執着を外す。そのことで、かえってお金が回ってくるという法則があるのかもしれない。

ぼくなどはをお金に対する執着があるので、ほとんど寄付しない。そのためか、全く回ってこないってわけだ。

でも、人を紹介するとか情報提供するとか、アドバイスするとか、そういうことは惜しまない。そのゆえか、いろいろな知識とか友人とかたくさんのアドバイスをもらえる。そういう循環が成り立つのかも。
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国立市に暮らしていた時「三輪学園」(さんりんがくえん)という学びの集いをつくった方がいた(飯田先生)。とても立派な方で、すごい人脈があり、三井銀行の施設を使って、中村元先生とか、玉城康四郎先生とか、一流の方が講師に来ていた。

その「三輪学園」の「三輪」とは、三輪清浄を意味する。布施行を実践するときの理想的なあり方。すなわち、布施する人、布施するもの、布施される相手の三つが清浄であること。執着のないこと。そういう精神で学校を作られたのだった。

まあともあれ、残り少ない人生、なにかしら世のため人のため、なにか貢献できるようでありたい。知識でもワザでも事業でもプロジェクトでも。それは、自分自身の幸せのためでもある。