過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

こんど、奈良の吉野の仕事が入ったので、その時に訪ねるよ

奈良の五條市にいる親友が、毎年、貴重な桃を送ってきてくれる。学生時代、ゼミの合宿でほんのちょっと話をしただけのつながり。ともにそのゼミは脱落したし。

奥様がいつも丁寧に手紙をつないでくれていたので、つながってきた。学生時代の友人で、交流があるのは、彼だけである。

10年前、ぼくが東京から移住して、大規模な農地を手にして、有機農業の真似事をしてみたいという時、いろいろアドバイスしてもらった。

お礼の電話をして、しばし雑談。

「同期の友人たちは、みんな定年退職して、悠々自適やわ。暇を持て余してのんきなもんや。あんたの活躍は、Facebookでいつも読ませてもろうとるよ」

──みんな余裕があっていいなあ。ぼくは現役の真っ只中。子育てしながらデイサービスをしながら編集の仕事をしながら、あれもこれもれも手を付けて、どれも中途半端。ほんとにバタバタしてるわ。

まあ、おそらく死ぬ瞬間まで現役だろうなあ。のんびりと旅するとか、もうないなあ。悪あがきしながら、悪戦苦闘しながら死んでいく。その道しかないよ。

そんな語らいをしたのであった。

やらなくちゃいけない仕事が、目の前にたくさんあるというのは、ストレスフルだけど、ありがたいことと思うことにした。現実に直面。それは、魂を磨く機会。社会貢献であり、子供の成長につながることであり、後世につながる道であると。

こんど、奈良の吉野の仕事が入ったので、その時に訪ねるよ。12年ぶりかなあ。
そう言って電話を切ったのだった。