過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

100万回生きたねこ

100万回生きたねこ」(佐野洋子著)という絵本がある。なにしろ100万回も生きた。いろいろな体験をした。あれもやったこれもやった。しかし、ほんとうにおもしろいことはしていない。ただの一度も、心底、悲しんだことのなかった生き方。そして、また生まれる。死ぬのなんて平気。自分のことが大好き。そうして、「どうだ、おれはこんなにすごいんだ」と言っては威張りたがる。
 
しかしあるとき、「ふん、それがどうした」という素敵な猫がいた。その相手に恋をして、子を育て、愛する妻が死ぬ。そのネコはかなしんだ。なげいた。そうして、もう生まれることはなかった。という話だ。
 
うちの奥さんが言う。「あなたは100万回生きたねこみたいだ」と。あれもやった、これもした、こんな体験もした、どうだ、どうだ!というところが。
 
うむむ。まあ、たしかに。
---------------------
で、さきほど講演の依頼を受けた。
 
禅宗の布教師会の講師。ありがたく光栄なことなんだけど。これまで、いろいろな講師をさせてもらった。いつも感じるのは、引き出しがたくさんありすぎて、あれもこれもと幕の内弁当になってしまうこと。
 
田舎暮らし、村おこし、デイサービス、子育て、編集、インド、仏教、瞑想、宗教あれやこれやと、引っ張り出してしまう。そこは、絞り込まなくちゃいけないんだけど。この絞り込みが難しい。「ん?結局、なにをいいたいの?」ということなっていく。
------------------
文章に書くときには、なるたけ絞りこむ。盛ることはしない。ところが、2時間くらいの講演になると、あれもこれも喋りたがる自分。こんなにすごいんだ、こんなにいっぱいやってきたということを証明したがるエゴが出てくる。さて、なにをどうしぼるかなあ。