過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

ベーシックインカムのチャンスか

経済活動というのは、循環である。なにか生産したりサービスすることで、付加価値をつけて他に渡す。渡った人はそれにまた付加価値を着けて、他に渡す。そして、循環していく。還流していく。
その循環がなければ経済は成り立たない。循環するとは、交換である。そのツールとして貨幣がある。
経済にとって一番の問題は「循環しないこと」である。循環の必要性がなかったり、 循環の手段がなければ成り立たない。
このコロナ感染時代は、いやおうなしに循環を止められている。人と人の交流ができなくなる。一憶総引きこもりを余儀なくされれば、経済は循環しない。体内に血が流れなくなれば、たちまち酸欠になって細胞は死滅してしまう。
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コロナが収束したとしても、いまの日本のような少子高齢化社会だと、経済は循環しない。 お年寄りはほとんど消費をしないからだ。おしゃれをする必要もない。食費もほとんど最低限。 新しいものを買うことはほとんどない。旅行にも行かない。 レストランにも行かない。
ただし、病院にはいく。 かかるのは医療費ばかり。 医療やお介護の分野には、経済は循環する。そして年をとれば亡くなる。そのことで葬儀関連業界には循環する。
子どもがたくさんいれば、経済は循環する。 何しろ子供はお金がかかる。 おもちゃ、食事、教育費、着るもの、レジャー。次々と消費しなくちゃいけなくなってくる。
いまのコロナ完成時代、そして少子高齢化社会。ダブルパンチで消費は止まっていく。
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じゃあどうしたらいいか。
仕事がなければお金が入らない。 お金がなければ経済は循環しない。ますます貧しくなり、ますます萎縮する。
これを打開するには、国が主導をして公共事業を行う。これまでの、日本のありようがそうだ。経済が停滞すれば、公共事業をやってきた。道路や橋や、ダム、ハコモノを作ったりして、そこにお金を流す。 地方においては土木事業、建築関係だけが生き残っているわけだ。
ところが、この公共事業都市というのは自然を破壊する。森がなくなる、川に魚がいなくなる、景観が損なわれる。殺伐とした風景となる。山を崩し自然を破壊しそして不要に建物ばかり作り、後々のメンテナンスに苦労する。
公共事業が、本当に国民の福祉に役立つかどうかというところが難しい。
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公共事業ではない、新たな可能性として、大きな賭けとして「ベーシックインカム」が考えられる。
ベーシックインカムというのは、国民一人当たり等しくお金を渡す。例えば5万とか10万を毎月、給付する。家族5人とすれば、毎月50万円ということだ。政府がすべての人に無条件で、一定額を支給する社会保障制度だ。
それであれば十分暮らしていける。家族が多ければ収入が増えるなら、子どもを産もうとするだろう。毎月の安定収入が保証されていれば、狭苦しい都会で暮らす必要はなくなる。家賃の安い田舎に入って自給自足すればいい。稼ぎたい人は、都会にいて仕事に頑張る。
大して稼ぎたくもない。それで十分という人は都会を離れて田舎に行く。人口集中している首都圏を離れて地方に若い家族が移り住む。 そして自給自足のために、田んぼや畑をやるかもしれない。
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しかし、それでは経済は循環しなくなるのでしないか。
何もしないでゴロゴロ引きこもっていても暮らしていけるわけだ。働く必要がない。そうなれば、みんなが怠けてしまう。ナマケモノを製造することになるのではないか。そして結果として技術力が落ち、国際競争力が落ち、日本は最貧国になっていくのではないか、そういう懸念はある。
あるいは日本に暮らせば十分暮らしていけるとして、 他の国から移民がどんどん増えていく可能性もある。そうすると異民族間の摩擦が生じるかもしれない。働かないのにお金だけがまわれば、ものすごいインフレになるかもしれない。
まあ、いろいろ課題はある。
しかし、安定収入が保証されていれば、不安はなくなる。貯金をする必要がない。老後の不安もない。貯金する必要がなければ、お金は循環していく。お互いにサービスを提供しあいあいながら、お金を交換していくことになる。
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ベーシックインカムが実現して、安定した収入が確保されれば、ぼくはゴロゴロしないとおもう。
毎日執筆したり、インターネットを介して論議をしたり、絵を書いたり木工をしたり、何か芸術的なことに打ち込みたいと思う。あるいは自然探索をしたり、田んぼや畑を行う。
もとより日本人は働き者であり勤勉である。お金のために働く必要ないのであれば、自分が本当に必要なもの、自分を高めるものにエネルギーを使っていくのではないか。
そのことで、もしかしたら一億総アーティスト。一億総芸術家、一億クリエティブになるかもしれない。そうした中から国際競争力が獲得されるのかもしれない。
過去の歴史において、実例がない。実施するにはリスクが大きすぎる。役人が今の高級で安定した仕事がなくなるので、反対するだろう。
まあ、大きな問題は、たくさんある。しかし、このコロナ時代を迎えてて、その方向に舵を切るチャンスなのかもしれない。そうでないと、日本は、ますます格差社会となり、勢いがなくなり、壊滅していくような予感がする。
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※頭の整理のために書いている。書くことで整理される。足らないことが見えてくる。書くのは手間なので、Googleの音声入力を使う。こんなややこしいことで、喋っていれば文章になるのはありがたい。よんでいただいて、反論、反響をもらえればさらにありがたい。