過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

「宗教と本尊」というテーマで、近いうちにZOOM楽座

宗教、とくに日蓮などは、本尊がたいせつだとやいのやいの言うけれど、本尊は、それぞれの縁あるものに従っていると、とらえている。「なんでもいい」とは言わないけれど。
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そもそも、日蓮の漫荼羅にしても、いろいろな礼拝対象(釈迦、多宝、観音、普賢、四菩薩、諸天など)がいっしょくた。しかも、本尊の書式やら形式は、バラバラ。あれがあったり、これがあったり、なかったり。定まっておらず。
浄土真宗における「南無阿弥陀仏」の六字名号のように、ただ「南無妙法蓮華経」だけでもいいと思う、さらには「妙」の一字でも問題ないと思っている。
真宗の本尊は、阿弥陀如来で、本来は「無相」。それを「有相」としてあらわすと、六字名号であり阿弥陀如来像と。
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ユダヤ教イスラムは本尊みたいなものはない。ものみの塔などは、十字架すら、偶像崇拝としており、教会に行くと礼拝物はない。
かれらからすると、マンダラ本尊であれ、六字名号であれ、「偶像崇拝」となる。
もっというと、形にあらわさず心の中のイメージすらも、偶像崇拝となるのかもしれない。
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そのあたりも、ふくめて「宗教と本尊」について、ZOOMで論議したいと思っている。けれども、参加したい人っているだろうか。ひとりで喋っていても、つまらないし。
一人でも参加者がいれば、「宗教と本尊」というテーマで、近いうちにZOOM楽座をひらきます。