過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

直接、皇室に出会ったことと笹目仙人の話

天皇陛下の即位を披露する「祝賀御列の儀」のパレードがあった。ぼくは、テレビはないので見てないことと、あまり関心はない。天皇制などなくてもいいと思っているので。

あとからYoutube見ると、両陛下は、たえずほほえんでおり、つねにひとつの「感情労働」だなあと感じる。そのうち顔が能面になってくる。「あー、もうつかれていやぁ。こんなのたくさん。好きにさせて」と言いたいこともあるだろうに、ご苦労さま。
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これまで、皇室を身近に見たのは、難度かある。故郷が「聴涛館」(ちょうとうかん)という大きな旅館の近くだったので、よく偉い方が泊まった。昭和天皇は、クルマで移動されていたときに見た。無表情で、けっしてニコニコはされていなかった。お年だったからね。

上皇は、いちど車での移動していたときに見たことがある。ぼくが関わっていた、学生ボランティアが北海道の「奥尻島」の災害救助に行ったとき、両陛下が来られた。「ごくろうさま」と声をかけてくださったという。

その後「皇居勤労奉仕団」(皇居の掃除)の仕事に彼らが行ったとき、陛下が出てこられて「奥尻のときはありがとう」とまた、声をかけてくださったという。
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身近に拝見したのは、三笠宮昭和天皇の弟)の宮と紀宮(さやのみや)だった。

三笠宮とは、椿山荘(ちんざんそう)でのパーティでの会食の場だった。三笠宮は、会の顧問をされていた。

宮はマイクを向けられると「帝国軍人は、マイクなど使わない」と、大きな声で話をされた。かれは、軍人で中国大陸にいたからね。東條暗殺計画の首謀者の神輿にも担がれていた。

でも、内容は「ぼくは宝塚ファンで、よく見たよ」というお話だ。前座で、元宝塚で平家琵琶の奏者、上原まりさんの平家物語の演奏と謡があったためだ。

紀宮は、仏像彫刻家の 籔内佐斗司(やぶうちさとし)さんの取材のときに来られた。「マスコミの人は、この線からでてはいけません」と、厳しく警備の人に言われた。

紀宮はニコニコして、360度、周囲に気を使って歩いていた。そのほどよい緊張感オーラはさすがと感じて、いっぺんにファンになったのだが。
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ところで、東京都の大岳という山に道院(どういん)を構えている仙人がいた。笹目秀和さんという。

大本(おおもと)の神殿が軍部によってダイナマイトで破壊されるとき、王仁三郎から御神体を預った。ひそかに、モンゴルの崑崙山(こんろんさん)の山頂に埋めよという使命を受け、それを実行してきた人だ。

その笹目さんのいる大岳には、じつは、天皇(当時は皇太子)は、よくハイキングしていた。殿下は一番先に歩いて護衛は後からついてくる。笹目さんは、そのことを知っていた。

なので、来られるコースにデーンと待ち構えていて、やってくると「殿下、お待ちしていました。どうぞこちらへ」と、自分の道院に案内してしまったという。

これは、笹目さんの部屋で直接、聞いた話だ。そのほか、王仁三郎とモンゴルを布教していたこと、御神体をどのようにして崑崙山に持っていったか、シベリア抑留でどれほどを辛酸をなめロシア兵をぶん殴ったか。

とにかく奇想天外、波乱万丈であった。これまで、いろいろとおもしろい人に出会ったが、とくに笹目さんは面白かった。