過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

年をとると、おんなじことを繰り返して話すようになる

きょうのデイ。

年をとると、おんなじことを繰り返して話すようになる。聞いている人は「もう、それ聞いたことだから」とは、言いにくい。我慢して聞く。うちの妻は「もう、それ何度も聞いたから」とぼくにぴしゃりと言うが(笑)

人によっては、「自分の得意な伝説・ものがたり」がある。武勇伝、苦難から乗り越えた話として、本人の脳内では、ひとつの誇らしい伝説となっている。それが繰り返し語られるようになる。
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年を取らなくても、ワンマン経営者などにも見られる。ある出版社の社長など、定時がきて退社の時なのに社員を集めては、いつも武勇伝を語っていた。

話しているほうは気持ちがいいだろう。が、聞いている社員は、もう何千回と聞いているので、つらそうだった。その話になると、社員はみんな下を向いて、無反応。「お先に失礼します」といえない会社だった。

そういうときに、ぼくが訪ねていくと、「おお、池谷、来たか」というので、社長は嬉しそうに、さらに盛り上がって話をする。ぼくにとっては、新鮮な話なので、興味深く聞いていく。話は長引く。社員にしてみると、もう帰りたい。にもかかわらず、池谷が来ると、話が長引いて帰れないじゃないかと、嫌な顔をされたりした(笑)
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ま、どこの家庭でもそれはあるだろう。お父さん、お母さんは、おんなじことを繰り返す。もう内容はほとんど同じなので、聞いているのはつらい。

ある友人の家を訪ねた時、そこのおばあちゃんは、「東郷元帥の葬式を見た」ということを語っていた。ぼくは新鮮なので、へえー、それで、それでと聞いていく。しかし、家族は、暗い顔をして下を向いてだんまり。何百回、何千回と聞かされているからだろう。
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デイサービスで、利用者さんと語らう時、似たような話は聞かされる。姑に苦労させられた話、戦争中、戦闘機から機銃掃射されたこと、学徒動員で学校がミシン工場になったことなど。それぞれ繰り返される。

ぼくにとってはいまは、新鮮なので、そういう話はおもしろい。聞いたことは、すこしずつ記録としてまとめていこうかと思っている。「一人ひとりの自分史」を聞きで語り作るというのもおもしろいと思って。