過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

百田尚樹の「日本国紀」を読み始めている 韓国併合について

百田尚樹の「日本国紀」を読み始めている。

以下のような記述があるが、「事実」においてツッコミどころ満載だと思うが。たとえば、これを一撃で論破するには、どういうことが言えるだろうか。
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日本は日露戦争後、大韓帝国保護国(外交処理を代わりに行なう国)とし、漢城に統監府を置き、初代統監に伊藤博文が就いた。この時日本が大韓帝国保護国とするにあたって、世界の了承を取り付けている。

日本は大韓帝国を近代化によって独り立ちさせようとし、そうなった暁には保護を解くつもりでいた。

韓国併合は武力を用いて行なわれたものでもなければ、大韓帝国政府の意向を無視して強引に行なわれたものでもない。

あくまで両政府の合意のもとでなされ、当時の国際社会が歓迎したことだったのである。もちろん、朝鮮人の中には併合に反対する者もいたが、そのことをもって併合が非合法だなどとはいえない。
(中略)
大東亜戦争後に誕生した大韓民国(韓国)は、併合時代に日本から様々なものを奪われたと主張しているが、そのほとんどは言いがかりで、むしろ日本は朝鮮半島に凄まじいまでの資金を投入して、近代化に大きく貢献した。

いくつか例を挙げると、併合前まで百校ほどしかなかった小学校を四千二百七十一校に増やし、全国児童に義務教育を施し、一○パーセント程度であった国民の識字率を六〇パーセントにまで引き上げている。この時にハングルを普及させている。

また全土がほぼはげ山だったところに約六億本もの木を植え、鴨緑江には当時世界最大の水力発電所を作り、国内の至るところに鉄道網を敷き、工場を建てた。

新たな農地を開拓し、灌漑を行ない、耕地面積を倍にした。それにより米の収穫量を増やし、三十年足らずで人口を約二倍に増やした。

同時に二十四歳だった平均寿命を四十二歳にまで延ばした。厳しい身分制度奴隷制度、おぞましい刑罰などを廃止した。これらのどこが収奪だというのだろうか。

たしかに当時の日本の内務省の文書には「植民地」という言葉があるが、これは用語だけのことで、政策の実態は欧米の収奪型の植民地政策とはまるで違うものだった。また日本名を強制した事実もなければ、「慰安婦狩り」をした事実もない。
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(「日本国紀 百田尚樹著より)