過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

それはコミュニティじゃなかろうか

一昨日は、禅宗のお坊さんの研修会で講演させてもらった。お坊さんたちとの語り合いが楽しかった。有意義だった。

その帰りに寄った友人のところでの話題。近所の真如苑の会館に信徒がたくさんあつまっている。そして、聖成公倫会の集いのこと。春野の競売物件を買って教会にしたハレルヤ・コミュニティーというキリスト教のこと。

きょう立ち話をしたのは、創価学会で活動している方であった。日銭を稼ぐのもたいへんな時代もあったが、いまでは信仰の功徳で、いいクルマも乗れるようにもなった、と。クルマ見たら、なんとポルシェだった。この信仰はすごいですよ。どうですか、体験してみませんかと誘われた。

帰宅すると、立正佼成会の新聞と冊子が置いてあった。数か月に一度、わざわざ持ってきてくれるのだ。そうして、ものみの塔(エホヴァの証人)の人は、毎月、めざめよ!の冊子を届けに来てくれる。

で、結論。みんな信仰に救いを求めているのかというと、それもあるかもしれない。体験に裏付けられた功徳というのか、実証というのか、手応えを得ている強さ。

そうして、もうひとつの要素。それはコミュニティじゃなかろうか。人と人との出会いの場、絆とか連帯とか、安心して語り合える場。そこに魅力があるのかも、と。

ビジネスの本質も、たぶんコミュニティにあるんだろう。そして、いまぼくが苦労としている田んぼづくりも、ひとつにはコミュニティの運営のありかたととも思う。