過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

山里のかつての経済のすがたがみえてくる

あるじいちゃんとの立ち話。80を超えておられる。ひとりで洗濯物をほしていた。声をかけた。

「こんちわー。ここ、日当たりいいねえ」
「うん。日当たりだけはいいんだ」
「このひろーい空き地は、だれのもの? 300坪くらいあるね」
「兄貴のものだけど、もう死んじゃった。うっちゃってあるんだ。草刈りもなんにもしないよ」

「なんか活用できたらいいね。。もったいないねぇ。ところで、どうして亡くなったの?」
「朝から、酒ばかり飲んで肝硬変で死んだんだ。仕事は、みんな部下にやらせてた」
「そりゃあ、朝から酒飲んでたら、そうなるよね。でも、酒のんで、仕事になるっていい身分だね」

「うん。大きな土木会社、やっていたんだ。A級の規模で、1億の仕事がとれてた(土木は、クラスがあって、等級がある)。入札して、みんな下請けにやらせてた」
角栄さんの時代とか、そうだったよね。山里も、もうかった時代があったんだね。橋を作る、道路を作る。がけ崩れをなおす、と」
「だいたい、山の仕事がおおかったよ。林業がもうかっていた時代で、木を伐り出して運ぶのに、道を作る。その仕事をしていたんだ」

「なるほどねえ。当時の山里は、公共事業で土木もよかった。林業ももうかった。お茶も。でも、もうだめかねぇ……」
「うん、だめだ。なんにも仕事がないよ。さびれるばかりだ。年寄りしか暮らしていない」

この立ち話は、5分くらい。これだけで、山里のかつての経済のすがたがみえてくる。