過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

林業は絶望か

「だれか山をもらってくれる人いないかね」。
先日訪ねた山奥の方から、言われた。これまで、数人の山主からも聞いた。
あちこちの山を買っている知人がいる。「いまは山は買う時代じゃなくて、もらう時代だ」とも言っていた。「林業をやりたいわけじゃなくて山が好きなんだ」という。資金的にも余裕があるので、次の展開を考えてるのだろう。
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山をもらったとする。広大な山持ちになる。所有欲が満足する。いつか、売れるかもしれない。固定資産税といってもタカがしれたもの。
とはいうものの、山は整備しないと、いろいろたいへん。
集中豪雨などで、山が崩れたときの責任はどうするか。
杉の大木が倒れて、民家などに被害を及ぼしたらどうするか。
自分だけでは責任を負えない事態にもなる。
40年も50年もたった大木なら、売れるのだろうか。
たしかに、売れる。
しかし、赤字となる。売るためには、木を伐採しなくちゃいけない。木を搬出しなくちゃいけない。道作り、積み込みを考えると、赤字になる。森林組合に頼めば伐採してくれるが、木を組合にあげることで伐採費用は相殺。しかし、道路づくりなどの費用は自分持ちともいう。
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ということで、森林(スギ・ヒノキの人工林)は放置されている。密集すると太くならないので、間伐が必要になる。間伐されるヒョロヒョロの細長い杉材は、「ナル」と呼ばれて、かつてはよく売れた。
建築のための足場などによく使われた。いまの足場は、ほとんど金属パイプで、ナルは使われない。そのため、間伐しても伐りっぱなしで打ち捨てられている。「好きに持っていっていいよ」と言われるが、運び出すのがたいへんだ。豪雨の時、そうした間伐材が土砂と共に流れ出して、川などをせき止めることもある。
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しかし、いつかは林業も反転するかもしれない。木材の価格が上がる。でも、それが10年後か20年後か50年後か。そこがわからない。
現金収入になるのなら、買ってくれる相手は誰でもいい。メガソーラーでも、中国でもロシアでもいい。そんなことになるような気がする。
ということで林業は絶望的。山仕事もない。過疎地の山里は、ますます過疎になり、自然災害で道路も寸断され、もはや人は暮らせなくなる。やがてシカやイノシシばかりの山里になるのか。