過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

「痛み」とともに暮らす

営林署で山仕事、そして土建業をしていた。しかし、土砂崩れで土砂に埋まり腰の骨を折ってしまう。体にはボルトが20本も入っているという。
年をとると、その古傷が痛む。大きな病院に行くが、「痛みと付きあうしかない。痛みに慣れるしかない」と言われたという。
大病院に行くと、コロナ感染のためにあれやこれやの検査、一列に並んでたいへんな時間がかかると嘆く。
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利用者さんを迎えに行った帰り、いつも散歩中のおじさまに出会う。もう80代だろうか。杖をついて、ゆっくり歩いている。
がっちりした体。若いときは、さぞかしたくましく働いてこられと思う。
クルマから声をかける。
「おお、きょうはどこにいくだ?どこにドライブに行くだ?あんたらはいいなあ。」
そう言われる。利用者さんも笑う。
───散歩の帰りにうちに遊びに来てよ。のんびりおしゃべりしてたら気も紛れるし。待ってるよ。
「おお、そのうち寄らせてもらうよ」
そんな会話をいつもしている。
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「痛み」がなくならない。いつなくなるというアテもない。さらに増すかもしれない。
そういう暮らしは、つらいだろうなあ。圧迫骨折で「痛み」と付き合わざるを得ない方が、うちの利用者さんにも三人おられる。
「痛み」がなくれば一番いいのだが、それは難しそうだ。「痛み」とともに暮らす。「痛み」とどうつきあうか。ひとつの大きなテーマだ。