たびたび講演会に行くが、わがごとで聞くようになった。自分だったら、どう話したらいいかなあ、と。
講演を依頼されたり、企画する機会が増えたので、そんな聞き方になる。以前は、内容を学ぶだけというところしか意識はなかった。つまらなければスルーだ。
ところが、「わがごと」で接していると、どんな講演でも学びになる。また、会場のあり方、進行の仕方、レジメ、タイトル、受付などにも、観察がいく。
講演がとても上手い人がいる。聞きやすいし面白い。それがいいか、というとそうでもない。立て板に水、なんども繰り返している話の使い回しみたいになると、響かない。
トツトツと下手くそ、ときどき詰まる。でも、一所懸命。心がこもっている。そういう講演がすばらしいのかなあ。
ぼくの場合、どうしても早口で饒舌になりやすい。言葉は次々と繰り出される。しかし、聞いている人は、あれこれと多すぎて、結局、なんだったのだということにもなりやすい。
自分はなんなのか。どういうものなのか。なにをしてきたのか。なにをしようとしているのか。要するに、一言でいうと、なにを伝えたいのか、と。
焦点を絞るというのが、難しい。あれもこれも言いたくなる。言いたいこと、余計なことは捨てる。じゃあ、なにを捨てるのか……。そのために、準備が必要だが、準備しすぎると、これがちっともおもしろくない。
いちばんいいのは、聴衆がいろいろ聞いてくれてもそれに答えていく。しかし、そのためには、質問してくれるような内容と雰囲気がなくちゃいけない。
今月は、禅宗のお坊さんたちの前で講演させていただくことになっている。さてさて、なにを話したらいいか。やはり準備しないとなあ。