過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

仏教を学ぶ日々があった

いま仕事として仏教書の編集と執筆をしている。仏教は大好きなので、趣味と実益を兼ねての仕事は、ありがたいことだと思う。仏教を学ぶきっかけのひとつは、30の頃のK先生との出会いだ。

先生は浅草に住んでおられて、毎日、説法と執筆の日々だった。とにかく話がうまかった。一日中、講義を聞いていて飽きるということがない。あらゆる大乗経典、密教に至るまで経典を読破しておられた。何を聞いても、どこそこの経典にはこうだと即座に答えられた。しかも、ホワイトボードで見事にわかりやすく図で示された。月謝も取られなかった。いつも食事を出していただいた。

法華経』、空海の「秘密漫荼羅十住心論」「即身成仏義」「唯識論」などを教えていただいた。「大乗起信論」をよんだり、「大智度論」「倶舎論」などを事典がわりに読んだ。おかげで大乗仏教の概念的なことは、かなり理解できたように思ったものだ。

大学ではつぶしが効くからと法学部に進んだ。ちっともおもしろくなくて、授業にはほとんど出なかった。大学では学びの楽しさを味わえなかった。けれども、K先生にお会いして、仏教を基本から学ぶという貴重な体験を得た。学びの日々は楽しかった。仏教は哲学であり、心理学であり、素粒子論のようなものもあり、飽きるということがなかった。学べば学ぶほど奥が深くて、感動したものだった。いまでも、ありがたい体験だと感謝している。

ただ先生は、ちと問題があった。いのちを奪ってはならぬ、と肉食せず、菜食だった。しかし、かなり太っておられた。ずいぶんたくさん食べられた。戒律をきちんと保っていると言っていたが、しかし、どうも女性が大好きだった。わりと怒りっぽい人だった。好き嫌いも激しいように見うけられた。そして短命だった。

そういう先生についていたわけだから、肝心の心の修行はともなわなかった。実践のともなわない知識ばかり。頭でっかちで、自分の尺度で物事を見てしまうような日々だった。知識は増えても、徳を養うことにかけていた。そこで、のちにたいへん苦労することになった。