過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

かつて山の木は次々と伐採されて、いたるところ禿山になって

昨日から火鉢で暖をとっている。ずいぶんと炭を使う。炭を買って暖を取っていると、石油や電気よりも割高になりそう。かなりの贅沢なことになる。うちは炭焼き窯を作ったので、これからはふんだんに炭を焼くことができるけれども。

ところで、むかしの山里の暮らしを支える収入はいったいなんだったろうか。山里では田んぼは難しい。お米はとれない。現金収入というか、物々交換して喜ばれるものは、おそらく炭ではなかったろうか。かつての燃料といえば、薪と炭しかない。

山里の人は炭を焼いて里に持って行って、お米とか味噌とか塩とか、着物とかを買ったのかもしれない。炭焼きは、貴重な収入源だと思う。だから、あちこちで炭焼きの煙が立っていたことだろう。

そうなると、山の木は次々と伐採されて、いたるところ禿山になっていったのではないかと思う。いまわたしたちが眺める山は、樹々が鬱蒼と生い茂っているけれども(植林されたスギやヒノキばかれりだが)、戦前そして江戸時代の山というと、禿山ではなかったろうか。火鉢で暖をとりながら、そんなことを思った。