過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

気分は選択できるか

気分によって自分という存在は大きく支配される▲バカにされた、軽視された、無視された、叱られた、罵倒された、期待されなかった、誤解された……など、そういうことがあるとかなり落ち込む。ときには、数日、いや数ヶ月、ひきずることもある。いっぽう、喜びの心地よさは、そんなに続かないようだ▲マイナスなものはダメージを与え、ながく引きずる。コントロールは難しい。

気分。それって、どういうことだろうか。気分って「選べる」のかなぁ。チャンネルをひねるようにして、気分を選べるものだろうか。いろいろ試したけど、むつかしい。どうにも不可能なことのように思える▲こういうことも考えた。落ち込むとか怒っているとか、気分というものは、自分という存在、器、現象に訪れたもの、ととらえられるだろうか▲つまり、気分そのものは自分自身じゃない。自分にやってきたもの。自分がそれを選択した、えらびとったのだ、と。

もしかしたら、「気分」イコール「自分」じゃあない▲もしもそうだとしたら、あ、怒りがやってきたぞ。いま怒ったぞ。これは、怒りが自分にやってきて、それを自分自身がつかんで、選びとったことなんだ。選ばなければ、この怒りは起きない。あるいは消えていく。長くは居座り続けることはない▲……ということが可能かもしれない▲このあたりは、とても微細な観察が必要だ。怒りが起きてしまって、しばらくしたら、難しいかも▲怒りが起きる、起きようとするまさにその瞬間、いまここで怒りが起きていることに気づいて、そこで選択しないことができるかどうか。