過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

〈お祈りレター〉が届いていた

東京からトンボ返り。郵便受けに〈お祈りレター〉が届いていた。市民協働推進委員会委員ってのに応募したが、その不採択の通知▲末尾には「今後の貴殿の益々のご健勝をお祈り申し上げます」とあった。ありがたくも、健勝を祈ってくださっている▲どうして〈お祈りレター〉かというと、就職試験で、不採用の通知は、だいたい末尾に「今後のご活躍をお祈りします」とある▲ので、就職活動の学生たちには、よく「また祈られちゃったよ」「祈られっぱなしだよ」と自嘲していうからだ。

ま、今回の面接では、なんとも無反応で、相槌も質問もほとんどないものだったので、たぶんダメだろうなとは思っていた▲なにか言ったら、それを受けて質問してくれると、いろいろ語れる。けれども、形式的な質問と無反応な表情だけだと、語る意欲が失せてしまう。で、なにか語ろうとしても、上滑りな無力感を抱いていた。ま、これもひとつの経験だ。

ところで、「祈り」ということで、ひとつ▲かつてお坊さんの日常文例集の書籍をつくったことがある。その際、浄土真宗だけは「言い回し」が他の宗派とは微妙に異なることに気がついた▲たとえば、「祈り」とか「祈念」はいっさい使わない。結婚式の祝辞なのも「ご祈念します」「祈ります」とはいわない▲じゃあ、そういうときなんと言う? その際には「念じます」が相応しいという。

「祈り」も「念ずる」もたいした違いはない思うけどね。しかし、真宗は「他力本願」が教えの中核中の中核。自力で修行して悟りを得ようという教えではない▲「すでに救われている」「如来の本願によって救われている」「自分で信仰するのではなく、如来からたまわった信心」という教えなのだ▲そこで、「祈る」というと自力の臭いがするので、嫌うのだと思う。