過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

止まることの観察

ひさしぶりに早朝のランを連れての散歩。この半年、とにかく過密スケジュールだったから、のんびり散歩もしなかった。心の余裕がなかったみたい。散歩すると集落の人たちと出会う▲昨日の雨で雨漏りして、たいへんだー。これから医者に行く、たいへんだー。年とってきてゴミ出し、たいへんだー。みたいな話を、そうだねえ、たいへんだねーと▲たまに、挨拶しても知らん顔して、挨拶を返してくれない人もいるけど、まあこれはいつものデフォルト。なので、気にしない。こちらに元気がないと、ムカっとくるけど、きょうはエネルギーがあるので、いつもの風物詩としてたのしめる▲あやうい場面もあった。屈強そうなイヌが主人のリードを振り払って、突然、ランに襲いかかってきた。ラン、危うし。あやうく大喧嘩になるところ、そいつの首輪を捕まえて引き離した。ハラハラした。

昨日の豪雨のために気田川は、勢いがすごい。そして、濁流。こんな勢いある流れを眺めているだけで、いろいろなことが思い浮かんでくる。また、川の流れそのものに同化して一体となって、しばし瞑想みたいなことを▲自分が止まっているので、水は動いている。しかし、この激しい水の流れが止まっていたら、自分は激しく動いていることになる。裸足で海に歩いて行って、寄せる波をみている。すると、潮が引くとき、自分が立っているのに、ずーーっと移動していると感じることがよくある▲そんなふうに、川の流れとなって、そこから自分を観てみようか。そしたら、自分がすごい勢いで動いていくことが体験できるかも。そう思って、川の流れに意識を向け続けてみた。けれども、できなかった。

止まることと動くこと。自分が止まっていれば、相手が動いていることがわかるし。相手から見れば、こちらが動いていることもわかる。自分の心はいつも動いている。頭のなかでは言葉をさかんに発している。想念は止まらない。寝ている間も止まらないことがある▲動けば動くほどに達成がある。しあわせがやってくるという思いはある。だからもっと動こう。ちゃんと動こう。効率的に動こう、と▲しかし、止まることもさらにたいせつ。止まってみよう。止まれば、なにもしなくても、そのままでよかったかもしれない。しかし、この「止まる」ことが難しいのだ。