過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

事実と真実

裁判というのは、正義とか真実を明らかにするところではないんだと思う。ではなんだ?というと、〈事実を明らかにするところ〉だと思う。〈事実をもとにして、法律を根拠にして裁く〉ところと。

問題は、この「事実」である。言った、言わない、聞いてない。そういうつもりで言ったんじゃない、とおうおうにして事実は藪の中。人だから、勘違いもある。自分に有利なようにねじ曲げたり、平気で嘘をつく。

で、たいせつなの「証拠」だ。事実を裏付ける根拠だ。この証拠がないと、たとい真実であっても、負けることがある。ウソであっても、それを裏付けるような証拠を示せば、事実と認定されることがある。つまり、ウソが勝って、真実が敗れることだってある。そこがこわい。

なにしろ事実を認定するのは、裁判官である。そこはやはり、思い込みも偏見もある。思想信条も好き嫌いもある。そういうことに左右されない公平な人間が裁判官になっているばずだけど、でもやはり人間だからね。訴訟を何百とかかえていたり、余裕もないこともある。そのあたりが裁判の難しい。でも、証拠を示し事実を積み上げて、説得力のある文書にして、裁判官に納得させるというのが、手応えのあるところである。