過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

【いまの病状】2025.6.5

【いまの病状】2025.6.5
「まるで霞を食って生きているみたいですね。いや、池谷さん自体が霞のようになっている」。
昨日、出版社とGoogle Meetで出版の打ち合わせをした際、私の顔を見て友人が言った。
池谷は毎日文章を発信しているので、まだしっかりしているように見えるかもしれない。しかし、身体的には着実に弱ってきている。血圧は55/80くらい、体重は身長159センチで43キロ。太る気配はまったくない。
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ネットサロン「いちりん楽座」でも、かつては座って話すなら10時間でも平気だった。しかし、昨日は30分でも息苦しさを感じた。寝ながら話すならまだ大丈夫だが、かつてのよく通った声も、最近は詰まった感じで少し弱々しいかな。
明らかに体力や肺の機能が落ちている。肺の線維化が進み、酸素吸収力が低下している。SpO2(酸素飽和度)は95くらいで、それほど低くはないが、やはり息苦しい。酸素ボンベを使っても特に楽になるわけではない。
病院に行くたびにCTスキャンやレントゲンを受けるのは嫌だし、医者が出す薬は治すものではなく、肺の線維化の進行を抑えるだけなので、モチベーションが湧かない。
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とはいえ、何もしないわけにはいかない。東城百合子さんの『自然療法』のような民間療法、たとえばヨモギドクダミやビワの葉を取り入れたり、身体の機能維持のために一本歯の下駄を履いてトレーニングしたり、いろいろ試している。
暮らしそのものは、ヴィパッサナー(呼吸や身体の動きに気づく瞑想)のようになっている。悟りの光はちっとも現れないけれど。そう言いながら、「死ぬ死ぬ詐欺」で1年、3年、いや10年生きるかもしれない。
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いずれにしても、体力仕事はもう無理だ。2,000坪の敷地はジャングル状態だが、もうそれでいいと思っている。幸い、頭はまだまともに動いているので、編集や執筆の仕事は問題ない。今年はあと2冊書かなくてはならないし、企画も10本くらいある。
運転はまだできるので、今日、あかりを連れて友人と静岡の古代エジプト展に行ってくる。エジプトは5,000年前の文明だが、統一王朝が3,000年も続いたのがすごい。
3,000年も続くと、人々は世襲化され、身分も固定化され、ファラオが永遠に生きているかのような意識だったのだろう。そのあたりを探求しに行ってくる。
まだまだ好奇心や探究心は旺盛だ。それが私を引っ張る力だ。「気力」はあるんだよね。


『病中記』
身似霞輕,筆如山重。
咳隨文字,氣與埃風。
肺衰猶觀千古事,
形瘦更著十卷書。
不待醫藥延殘命,
但憑心火照幽墟。


「読み下し文」
身は霞(かすみ)に似て軽く、
筆は山の如く重し。
咳は文字に随い、
気は埃風(あいふう)と与(とも)にす。
肺衰するも猶(なお)千古(せんこ)の事(こと)を観(み)、
形瘦(けいそう)するも更に十巻の書を著す。
医薬を待たずして残命(ざんめい)を延(の)べず、
但(ただ)心火(しんか)を憑(よ)りて幽墟(ゆうきょ)を照らさん。


「現代語訳」
体は霞のようにかすかで軽いが、
筆は山のように重厚である。
咳は書き記す文字につきまとうが、
精神は砂漠の風と共にある。
肺は衰えてもなお遠い昔の歴史を探求し、
やせ細った体でさらに多くの書物を著す。
薬に頼ってかろうじて命を長らえようとはせず、
ただ心の灯火で、暗い病の淵を照らそう。


「解説」
- 初聯(1-2句)で病身と精神の対比を強調
- 「埃風」はエジプトの砂漠の風を暗示し、探究心の象徴
- 尾聯(7-8句)の「心火」は、病苦に抗する知性の炎を表現
- 漢文の対句法(3-4句/5-6句)でリズムを整えつつ、病と創作の共存を描く
終句を「照らさん」と意志表現にした。