過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

ブッダは釈尊だけではない。決して一人の人物を意味していなかった

ブッダ釈尊だけではない。決して一人の人物を意味していなかった。」

これは、仏教学の大御所、中村元先生の論文である(「釈尊を拒む仏教」)。まさに「目から鱗」であった。かいつまんで、要約してみた。

①仏教とは「ブッダとなるための教え」「ブッダの説いた教え」である。
ブッダの説いた〉とは、〈釈尊の説いたもの〉と暗黙のうちに了解されている。ブッダとは、釈尊である。しかし、釈尊だけがブッダであろうか。

②そうではない。当時は、修行を完成した人は、みんな〈ブッダ〉とよばれていた。ブッダとなることを教えた人々は当時、幾人もいた、釈尊ひとりだけではなかった。

③ジャイナの修行者も、ウパニシャッドの哲人も叙事詩に登場する仙人もみな〈ブッダ〉とよばれている。
仏典においても、他の修行者たちもブッダと称していた。最古の仏典(例えば『スッタニパータ』)によると、すぐれた修行者たちもみな〈ブッダ〉とよばれている。

ブッダとなるための教えは、釈尊が説いた教え以外にもあった。ただそれらは、後代のインドに「仏教」としては伝えられなかっただけである。

⑤異端者デーヴァダッタ(提婆達多)はこの視点から再評価さるべきである。

⑥かれはブッダとなることを教えていた。その意味でかれは仏教者である。当時〈ブッダ〉とよばれていた多くの思想家・宗教者の中では、かれが最も釈尊に近い人であった。それなのに、かれは仏典においては極悪人として扱われている。どうしてか?

⑦デーヴァダッタは立派な修行者と認められていたからこそ、多数の信徒を得ていた。けれども、デーヴァダッタは教団に封する忠誠心が無かったために、五逆罪を犯した最大の悪人とされてしまったのだ。仏典においてデーヴァダッタに対して向けられている嫌悪は異常であり、ほとんど病的でさえある。何故このような憎悪が成立したか?

⑧ナンダ王朝からマウリヤ王朝にかけてインド全体が統一されるにつれて仏教教団は大発展をとげた。アショーカ王は教団の分裂を恐れていた。大教団が一つにまとまるためには、シンボルがなければならない。ゆえに、釈尊のすがたは急速に神格化、巨大化される。仏教は〈釈尊教〉とでもよばるべき性格を強くしていった。

⑨〈釈尊教〉の性格が強まるとともに、他のブッダたちは抹殺されるか、地位を低められた。ブッダとは釈尊ただひとりと考えるようになった。釈尊を神格化するとなると、かれに対抗したデーヴァダッタはますます悪人とみなされるようになった。

釈尊を拒む仏教徒、すなわちデーヴァダッタの徒衆は西暦四世紀頃まで存続していた。法顕は5世紀にネパール国境近くでデーヴァダッタ派の教団に遭遇したと『仏国記』に記している。

詳しくは中村先生の論文。
1968年12月25日に『印度學佛教學研究』17巻1号に掲載され、2010年3月9日に公開された。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk1952/17/1/17_1_7/_article/-char/ja/