「老子?それってどんな人ですか?」
「杜甫?李白? 知りません」
中国出身の女医さんと語り合ったときだ。
彼女は、国費留学で来日。医者の資格を取り、東京女子医大に勤めていた。
いろいろ話をしたのだが、中国の古典、諸子百家や、杜甫や李白などの話をしても全く通じないのに驚いた。
中国の古典について詳しくないのは、どうしてか。
青年時代、文化大革命(1966年から1976年まで続いた毛沢東による政治闘争)があり、紅衛兵運動、「批林批孔運動」(儒教を革命に対する反動とみなし、儒教を弾圧の対象した)が盛んであった。
中国の偉大な古典などみむきもされず、『毛沢東語録』の学習のみが徹底された。孔子の教えは封建的でとんでもないと批判されていた。
鄧小平が、来日した時「私たちの文化で、日本に儒教を伝えたことは申し訳ありませんでした」と言っていた記憶がある。
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彼女は、下放運動(上山下郷運動:じょうさんかきょううんどう 毛沢東が指導)を体験している。
ものすごい辺境の地に行かされた。
空き家が住まい。家主が首吊り。首吊りしたロープがまだ天井からぶら下がっていた。
はじめの仕事は、そのロープを切る。室内に置いたままの棺桶が2つ。一つは診療所の椅子に、ひとつは、クスリを収納した。
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下方運動は文化大革命期、毛沢東主席の指導によって行われた。青少年の地方での徴農(下放)を進める運動。都市部の青年層に対して、地方の農村で肉体労働を行うことを通じて思想改造をしながら、社会主義国家建設に協力させることを目的とした思想政策だ。
都市と農村の格差を解消する大規模な実験。その数、10年間に1,600万人。行き先は雲南省、貴州省、湖南省、内モンゴル自治区、黒竜江省など、中国の中でもたいへんな辺境地だ。
多くの青少年は「毛主席に奉仕するため」として熱狂的に下放に応じた。「広闊な天地にはなすべきことがたくさんある」などのスローガンのもと、辺境の農村に住み込んだり生産建設兵団で開墾作業に従事した。
しかしやがて、地方と都市とのいちじるしい落差や農作業の厳しさに苦しむ。ちなみに、習近平総書記も少年期に下放を経験している。
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ところが、台湾の友人と話していると、五言絶句や七言律詩など、語り合うことができる。書も達者で、さらさらと漢詩を書いてくれた。中国の個展を通して語り合ったものだ。彼女に中国の遠大な歴史が流れているように感じた。
こないだ彼女のアカウントが乗っ取られて、こちらにメッセージが来ていたので、電話してみた。30年ぶりくらいか。
台湾は、古き良き中国の歴史が残っている。日本統治下の建造物もある。玉山(新高山)という富士山よりも山がある、川がある海がある。温泉がある。夕方、ずらっとならぶ屋台料理など圧巻であった。