過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

「花」と「死」を間違えた

東京に出かけてきたよ。
伝説の禅僧 村上光照老師の追悼イベント。サンガ新社の主催。渋谷で行われた。
晩年の老師のことが映画化された、それの上映会とトークイベント
作家の田口ランディさんの司会、映画監督の木村衞さん、ポーランドの禅僧、シュプナル法純師。そして、池谷が老師との出会いについて語るというもの。
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2時前にはつくかなあ、そう思ってクルマをスタートしたもののの、いつも通れるはずの道が「全面通行止め」。水害でえぐれた道路の補修をしていた。

仕方なく大回りして、天浜線天竜二俣駅に行く。そして、電車を待つこと40分。そこから掛川駅まで1時間。そして、渋谷まで3時間。ということで、到着したのが15時半。

映画はすでに終わっていてトークはもう始まっている。私が座る椅子だけ空いている。それで、タイミングを見て、登壇。田舎暮らしのこと、子育てのこと、道路事情を少し話をして、老師との出会いの話を10分くらい。
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みなさん、村上老師のことに関心を持ってきてくいる方ばかりなので、とても話はしやすい。だが、時間がない。老師は、京大大学院で、湯川秀樹先生のもとも、理論物理学を学んでいて出家。寺を持たずリュック一つで全国を行脚。ドイツなどでも座禅を指導していた。どれほど禅を極めた方であったか。どれだけおちゃめな方であったか。しかし、どうして晩年は認知症になってしまわれたか。

語りたいことはたくさん。参加者の方々もたくさんお話をしたいようであった。ともあれ、17時には終わって、その日は、友人の松浦さんのところに泊めてもらう。そこは隅田川の近く、永井荷風が暮らしていたような古風で瀟洒な家だ。

一遍上人のこと、鎌倉の祖師のこと、幕末の動き、新選組、死後の世界、話は多岐にわたる。翌日また、朝から昼過ぎまでの語り合い。

そのうち、芝居をしている女優の方ふたり、松浦さんのお兄さんなど、いろいろな人が来て、また話が多岐にわたって盛り上がる。自由な語り合い。多岐にわたっての語り合いか楽しい。

東京などは「こういうテーマで語り合いの場をやるよ」と広報すれば、少なからぬ人が集まる。出会いが次々と起こる。そこは、いいなあと思う。
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親しい人で死ぬ人が多い。「いかに死んでいくか」みたいなことも大いに語り合ったので、帰りの電車で「一緒に花を育てませんか」というポスターを見たときだ。
「わたしたちと一緒に死を育てませんか」
と見間違えた。「花」と「死」って、字が似ていると思った。

自分の死を育てていくこと、それが花を育てることになるのかも。自分という花を育ててそれが死につながっていくのかも。瞬間瞬間、死んでそして生きる。死んでそして生きる。無常。つねにいまここだなあ。