過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

自らの死を語り合う場をつくろう

生き方、死に方を分かちあい、語りあう「カタリバサロン」があるといい。昨日、わがやを訪れてくれた10数組の人たちと語りながら、思い立った。

ひとつには、親しい人の看とりとおくりをどうするか。慣習やしきたりにしたがうだけじゃなくて、納得のおくりをしたい。では、どうしたらいいかと。

そうして、この自分自身が、確実に死んでいく存在だ。死は他人事にあらず、「わがごと」だ。

わが人生のしまい方についてじっくり考えてみる。自分はどういうふうに死んでいきたいか。看取られたいか。おくられたいか。供養されたいのか。どうしたらいいか。

そんなこと語りあう。分かちあう。いろいろと情報を交換する。

仏教やキリスト教、いろいろな宗教あり方もみていく。知識や概念じゃなくて、自分がいかに死を迎えるかというところからみていく。自分の死を見据えて、いま人生を、暮らしを、生き方をみつめなおすために。

そんなカフェをつくろうかと思いたつ。すでに、世界各地で開かれているらしい。その名も、「Death Cafe」 (デスカフェ)というらしい。

なにかもっといいネイミングがないものだろうか。

だいたい月に1度のペース。14〜18時。場所は鴨江アートセンター104号室。ここは調理場がついているので、コーヒーを飲みながらスナックを食べながらの語り合い。定員はせいぜい10名くらいかな。8月からスタートの予定だ。