◉地べたに座り込んで話をした
村上光照師との出会いは、37年前になる。当初お会いしたときは、新宿南公園であった。
ふと通りかかると、そこに二人の禅僧がいた。地べたに座り込んで、噴水の水道水を飲みながら、フランスパンをかじってていた。
僧侶たちのそばには、カーキ色の大きなリュックが置いてあった。
上座仏教修道会を主宰していた竹田さんから、リュックを背負って全国を行脚している村上光照さんという立派なお坊さんがいると聞いていたので、
──もしや、この方が?
と思って声をかけた。
「村上さんですか?」
その禅僧はニコっとした。人なつこい笑顔がかえってきた。
「はいー、村上ですぅ〜」。
なんともなつかしいような声。穏やかで悠然とした声の響き。
その笑顔が忘れられない。
もう一人、お連れの僧侶がおられた。目の見えない方らしい。道照さんといわれた。
三人でしばし地べたに座り込んで話をした。
法華経のことやら音楽談義をした。
「ほうほう、あなたは詳しいねえ」
村上さんは、けっして相手のことを否定しない。
よく聞いてくれるので、ぼくは調子にのって話してしまう。
「人間、有名になったらあかんのですよ。ぼくはなるたけ、世に出ないように。出ないようにしとります」
そう言っていた。
話も尽きて、公園を発つとき
「どれ、でかけましょうか」
リュックをかつぐ。眼の不自由なお弟子さんにリュックの紐をつかまらせる。二人で、夕陽を背にのんびりと歩いていく。
ははあ。世の中にこんな坊さんが、まだいたんだなあ。さながら一幅の絵のようだった。
◉ばったりと出会ったのは秋葉原駅
村上さんとの初めて出会いから数年後、ばったりと出会ったのは秋葉原駅だった。
作務衣に手ぬぐい、いつも大きなリュックを背負っているお坊さんだから、それとすぐにわかる。
「おお。池谷さんですか。おひさしぶり。きょうはオーディオの部品を買いに来たんですよ。真空管のこのタイプが必要でねえ。
ところで池谷さん、この駅の上に、おいしい焙煎コーヒーの店があるから、そこでコーヒーでも呑みませんか。」
「はい。もちろんです」
二人でコーヒーを呑みながらの雑談。
「ぼくはお寺もないし、なんにも持ち物がありません。でも、みながうちへ来て下さい、どうぞ、うちにいて下さいというので、そのままその寺にいたりするんですわ。
なんにもないっていうことは、なんでも持っているみたいなものだねえ。
それで、ぼくはリュックひとつで、全国を行脚しとります。どこに行っても、そこが道場。行ったところ行ったところで、ありがたいんですわ」
あるときは、「歌舞伎にいかんかね」と電話があった。
東銀座の歌舞伎座に一緒に出かけた。かなり前の方のいい席で、信徒さんからのお布施で券を頂いたという。ぼくには、立派なお弁当をくださった。光照さんは、玄米と梅干しの大きな弁当箱。おいしそうに見えた。大学時代から、玄米と梅干しみたいな食事だそうで、元気そのものだった。
◉松崎の草庵まで訪ねてみた
あるとき、南伊豆へ遊びに行ったときに、
──もしや村上さんがおられるかも。
と思い、松崎の草庵まで訪ねてみた。いつも全国を行脚しているので、訪ねてもほとんどが不在だと思われた。
お訪ねすると、そこは小さな木造平屋の粗末な草庵だった。
おや、なんだか沢山の人がいるぞ。
近所のおばちゃんたち四、五十人が、草刈りをしていた。
幸いなことに、村上さんは、数日前に全国行脚から戻ってきていたのだった。
「おお、池谷さんかぁ。まあ、あがりなさい」
道場に上がらせてもらった。床の間には坐禅姿のる澤木老師の写真が掲げてあった。村上さんの師匠である。
やがて草刈りを終えた人たちが集まって、みんなでワイワイと楽しそうに食事会がはじまった。わたしも混ぜてもらった。
しばしお話をうかがう。友人が執筆し、ぼくが制作した瞑想の本(EO著「反逆の宇宙」)を差し上げると、そのまま頭に乗っけたままま笑っていた。「頭で書いた本だのぉ」ということだったろうか。
「この草はこうすれば食べられる。これは薬草になる」
草にも詳しい。そうして、村上さんの声の響きの中にいると、自然とくつろげてしまうのだった。
あの笑顔、あの悠然さ、のんびりとした落ちつき、あの遊び心……。
そういう生き方をみていると、
「人間あくせくせんでもどうにか生きていけるんじゃなかろうか」
という安心が得られるような気がした。
「仏法は餌食拾いの方法ではない。自分の本質がいきる生き方である。道のためには生命を全うしなければならぬが、道のために食えなければ飢え死にするまでのことである。」
とは光照さんの師匠の澤木老師のことばだ。
◉神田で村上光照さんの講演会の司会を
それから十数年たち、出版社の主催で神田で村上光照さんの講演会をすることになり、私が司会をすることになった。司会兼インタビュー役を務めることになった。公開インタビューしながら、それを本にするという仕事だ。
なにしろ、めったにお会い出来ない伝説の禅師ということで50名ほどの方が集った。若い女性が多かった。
おちゃめな老師は、部屋に入ってきただけで空気が和んでしまう。
ところが、話は次から次へとあらぬ方向に行ってしまうのだ。かなりハイペースで、どんどんと展開していく。質問に対して、それを無視して、自分の世界に浸っているような感じがした。
量子力学の話から、和算の話(京都大の大学院で理論物理を学んでいた。湯川秀樹の研究室にいた方だ。数学もものすごく詳しい)。それからヨハネの黙示録から、西郷南洲の遺訓。次から次へと法華経世界の発露のようなイマジネーションの爆発であった。
ただ、ちと認知障害が入っておられた感じで、コミュニケーションは難しいものがあった。う〜ん。踏み込んだやりとりができなくなったなあと感じた。
まあしかし、まとめ方によってはじつに面白い話になるかもしれないなあと思った。
◉光照さんが亡くなった
そうして、出版しようと企画している時、令和5年1月22日、光照さんが亡くなったと連絡を頂いた。27日が葬儀であった。
村上光照さんのお元気な頃のテープが残っているので、それをまとめながら本にしようと思っている。日本国内の多くの人、あるいはドイツやフランスでも本にしてほしいという声がある。
ところで、伝統仏教というのは、先祖供養とか死者の供養に力点があり、なかなか生き方の支えになっていないところがある。
困った人に声をかけない。困った人が相談に行こうとも思わない。お寺を訪ねるのは憚れる。人人の暮らしと密着していない。
伝統仏教は威張ってる。儀式しているだけ。説法が猛烈につまらない。贅沢している。
それが世間一般のみかたかなあとも思う。
そんななか、