過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

いちりん楽座の開催。 池田大作著『人間革命』を読む。創価と戦後史。

 

いちりん楽座の開催。
池田大作著『人間革命』を読む。創価と戦後史。

『人間革命』を素材に、戦後どのようにして創価学会は発展していったのか。それを戦後史、占領政策を背景に読んでいく。
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1月17日(水)19時〜21時(入室は18時半〜雑談)
参加費無料 どなたでも参加自由 途中入退・顔出し自由
GoogleMeet:Googleアカウントがあれば参加可能。スマホはアプリのダウンロードが必要。下記をクリックするだけ。
https://meet.google.com/cda-bdoe-hap
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最大の宗教団体である創価学会は、当初は創価教育学会といとった。戦争中、治安維持法不敬罪で大幹部は投獄される。初代会長の牧口常三郎は獄死。後に二代目会長となる戸田城聖は、獄中で悟(さとり)ともいえる体験を得る。

そして、出獄したのは1945年の7月3日。終戦詔勅の42日前だ。
出獄したした戸田は、政界の黒幕 古島一雄を訪ねる。
そして、敗戦の予測を聞く。「一ヶ月以内」と。

それを聞いた戸田は、やがてアメリカ軍が侵略すると必要になるのは、日米会話だ。そこで通信教育の準備に入る。そして、8月30日に、すでに朝日新聞に、日米会話の通信教育の広告を出す。やがて、出版社を作り、信用組合で金融業も始める。その営業部長いが、池田大作(後の第三代会長)というわけだ。
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戸田は、もとより実業家であった。当時、17もの会社を経営していた。証券会社ももっていた。炭鉱会社も大阪の油脂工業手中に収めるような勢いであった。政界の黒幕との付き合いもあった。岸信介とも懇意である。

その戸田城聖によって、創価学会は再建された。戸田というたったひとりから、やがては75万世帯と発展してゆく。(1951年:昭和26年 5月3日に75万世帯の折伏を達成し、7年後に亡くなる 58歳)

その後を継承した池田大作は、750万世帯の達成を目標とし、いまや公称1200万世帯である。そして、創価学会の政治部とも位置づけられる公明党は、政権与党。選挙のときには、550万から850万票もの得票がある。

その創価学会の躍進を戸田城聖の出獄の場面から描いていったのが『人間革命』である。著者は池田大作ということになっているが、私は疑っている。あまりに表現、展開が見事だから。

そして、途中でゴーストライターのS氏が亡くなると、新聞連載は休止。何年かたって、再開されるが、まったく文章の勢い、切れ味は落ちていく。そして、次の『新 人間革命』となると、これはもう聖教の新聞記者のレベルに落ちていく。

劇作者の、井上ひさしの感想が面白い。
───感想としては、「これは恥ずかしい」のひとこと。自分のことをここまで持ち上げて書くことのできる神経は普通ではない。
いや、ほとんど異常といってよい。含蓄のかけらもない図々しい人間にしかこういう文章は書けないと思う。
ひょっとしたら「山本伸一」(作中の主人公、作者の池田大作自身)にごまをする代作者の筆になるものかもしれない、それならまあ分からないこともないのであるが…
いずれにしてもこの「人間革命」を読んで筆者は池田大作創価学会に対する興味をあらかた無くしてしまった。(井上ひさし箸 「ベストセラーの戦後史」より)

※いちおう、第一巻の「黎明」の章だけ、テキストにしておきました。池谷が勝手にゴシックにしたりカラーにしたりしています。

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