遊んでいるように見えると思うけど、日々、企画に余念はないんだね。それって生き方そのものだから。
キャンプ場の経営、廃校の活用による子供の第三の居場所づくり、そして仕事の軸の出版企画などなど。
▽
出版については、あれこれと企画はあるんだけど、出版社がかつてのように、かんたんには「やりましょう」とは言ってくれない。
まだ東京に暮らしていれば、ついでに出版社によっては雑談しながら、「そういえば池谷さん、こういう企画はどうかね、いやそれはこうしたほうが」----—みたいにして決まったりしていた。しかし、なにしろ山奥暮らしだから、そうもいかない。
きちんと企画書書いて出しても、まったく読まれなかったり、外部からの企画は受けておりませんとか、編集会議で食指が動きませんでしたなどなど。
また、出版しても売れるわけではない。
ということで厳しい。出版は構造不況業界。書店も次々と無くなっていく現実。
そもそもみんな活字を読まなくなってきたよ。これはという情報は、ネットですぐ手に入る。YouTubeで映像で簡単に得られるよ。わざわざ書店に行ったりAmazonに注文するまでもない。
▽
ということだが、自分としては、まだ諦めずに書き続け、本の企画は続けていく。だって最大の趣味であり道楽なんだから。
書店展開するという出版が、そもそも、もう閉塞的なのはリアルにわかる。たまにヒット作が出るけれど、かなり難しい確率だ。
しかし、本というかたちにあらわす、本を読むという満足感というのは確実にある。
▽
自分で本を出したい人ってのは結構いるんじゃなかろうか。
書店で売れなくてもいい。自分の満足のために、知り合いや縁者だけに配る。自分が死んだときに配ってほしい。自分の一生を読みやすくわかりやすく50〜100ページに纏めたもの。写真入りで、50冊くらい。それが50万円で可能。原稿は書かなくてもいい。こちらでインタビューするので、それをもとに原稿を書く。それをもとに、直してくれればいい。
そういう方向はあるかもしれない。そちらに舵を切るかなあ。
▽
昨日たまたま、まちがえて電話して相手が元編集者だった。もう70を超えているので、編集しようという気力がない。ひとり暮らしなので80になったら施設に入るといっていた。
けれど、著名な作家の手紙を中心にした本を作りたいと言っていた。たとえば、啄木が借金のために出した手紙、清張の無名時代の手紙、さらには永井荷風の新文献祭の挿絵だとか、まあそんな企画は語り合ったのだった。
20〜30年前なら、「それはおもしろいから出そう」と言ってくれた出版社の社長もいた。が、ひさしぶりに電話しても、「昨年、脳梗塞になって、なんにもわからん。悪いが編集のだれそれに電話してくれ」とか、馴染みの編集者はみんな退職して知り合いがいなくなったりしているわけだ。