過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

美輪さんは法華経の深い理解者であるから、その線で企画書を

妻は税務署のほうにでかけ、ついでに認知症になりかけている母親の世話に行き、一日おらず。

あかりは、ずっと家にいるわけで、時間を持て余している。
一緒に桜を見に行ったり、もらってきたプリンターを分解したり、ひとりで問題集を解いたり。塗り絵をしたり。コップを割ったり、電話していると乗っかってきたり、話に加わってきたり。

まあ、学校に行かない子どもがずっと家にいるというのは、やっぱり疲れるよぉ。
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そんななか、大手出版社の編集の方とやりとり。友人の本をなんとか形にしたいと動いていたが、P社の方が縁を感じて「ぜひ企画を通したい」ということになった。

話の感じでは、社内の企画も通りそう。友人はもうあらかた原稿を仕上げているし、ぼくのほうでお節介でない形で編集させてもらえれば、すんなり出版できそうな気がしてきた。まあ、先の話でわからないことだけれど。
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で、あれこれ雑談していくと、編集者と「美輪明宏さんの本を作りたいね」ということにもなった。美輪さんは、この世界では大御所。今年、88歳になる。それこそ美輪さんの「遺言」のような本を。

トランスジェンダーのこと、戦争のこと、経済不況のこと、そして信仰のこと。とくに、美輪さんは法華経の深い理解者であるから、その線で企画書を作ってみようかと思っている。

もしも美輪さんがオッケーしてくだされば、その出版社としては即決でいきたいようだ。まあ、そんな話をしているときに、あかりがパンをトーストにしたい、バターはどこだ、みたいなやり取りしながらであった。
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じつは、27年前に、美輪さんの本を作らせてもらったことがある。美輪さんの家を2日間、お訪ねしての語りおろしであった。

なんとあの美輪さんが、ケーキを切って紅茶を出してくださったのを覚えている。録音したカセットテープは、どこかに行ってしまって残念だけど。
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十数年前のこと、別の大手出版社に縁ができて、そこに企画書を出したら、局長が乗り気で、ぜひ出しましょうということになった。

それで赤坂で美輪さんのプロダクションの社長と打ち合わせ。これは即決でいくかなあと思いきや、その会社が出していた月刊誌に、美輪さんに失礼なこと(おかまがどうのこうの)が書いてあったらしくて、たまたまそれを読んだ美輪さんは、えらいおかんむり。それで企画は流れたという経緯がある。

まあそんなこともあったが、美輪さんがお元気なら企画してみたい。なにごとも縁次第ではある。