過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

あかりは独学の道へ

学校に行かないことを選んだ小中学生は20万人を超える(2020年度、、過去最多。8年連続で増加。前年比25%アップ)

この流れはますます加速する。もう時代は大きく代わる方向に舵は切られている。

行きたくない理由は、学校がおもしろくないとか、規則に縛られて窮屈だとか、いじめに遭うとか、いろいろあるだろう。

かつては「学校に行くのは当たり前」だった。でも、「行きたくなければ行かなくていい」という親も増えてきている。うちもそうだ。マスクしての登下校、合唱も体育もマスク、そして黙食。たのしそうじゃない。
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あかりは(7つ)「もっと遊んでいたい。好きな時に学べばいい」「みんながで授業をじっと聞いているのは、自分の時間がもったいない」といって、9月から登校はやめた。

親としても「たしかになあ、そりゃそうだ」という思いもあり、あかりの意向を大切にした。

ただ、あがたいことに、校長も理解があるし、担任の先生は週一度来て下さって、学習の進捗のチェック、ポイント、行事案内、困りごと相談などしてくれる。それが、じつに適格でスピーディ。さすが。まことにありがたいことだ。
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あかりは独学の道でいい。自分で興味を持ったことを自分で決めて、自分のペースですすめていければいい。たのしい、おもしろい。それにしくはなし。

まあところが、ずっと家にいられると、親としては仕事ができず、しわ寄せくる。それが大問題。

そして、みんなで学ぶことで集中する道もあるわけで、学校のよさはある。学習(読み書き算盤)の進捗も心配。

この施設をフリースクールにしたり、オン・ライン教材で学習する道もいいかなあと思ったりする。そこは探求中。
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「60年以上も通知表がない。さらに時間割やチャイムもない」南信州の伊那小学校のサイトを見せた。

公立学校でこういうことができるんだ。しかも60年ってすごい。
「この学校行きたい」とあかりは言っていた。でも、今さら伊那に引っ越せないしなあ。この山里にいるしかない。

理想的には、たとえばこんな学校があるといい。
めいめいが好きなことをしている。学びたいひとは学ぶ。遊びたいひとは遊ぶ。

そして、教室には先生がいる。質問に来ること対応している。生徒は、質問があれば先生のところに行って、教えてもらう。あるいは、各教室で、それぞれの先生が授業している。受けたい生徒が受ければいい。

試験があるのは、いいのかどうか。
他人と競うのは意味がないし、いい学校に行くためとか、もう意味は無いと思っている。

ただ力試しとして試験を受けて。どこができなかったのかを、掘り下げたらいい。

自分の体験では、試験のために学んだことは、身につかない。忘れてしまう。
興味をもったことを学んでいくのは、楽しい。どんどん深まる。それが学習の成果だ。ぼくは、それをしてこなかったが、年とってからの学び、それ時代が楽しい、喜びだ。
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あかりには、怒りを持たずに自分が伝えたいことをちゃんと、他人に向かって話ができること。相手の話が聞けること。そうなるといいんだけど。

そして、文章に表したり絵に描いたり作品にしたり、自分を表現できたらもっといい。

進んで自分で読書をすること。読書の楽しみを見つけること。そしたら、独学の道は一直線。そういうふうに育ってくれたらいいんだけど。

まあともあれ、言ってもなかなか聞きっこない。
でも、親の姿を見て子は育つ。ということで、親自身が学び探求していく人生そのものでありたい。