過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

彫ることで、自分が救われているというSさん

仏教書の企画書づくり。だいたいの方向性をまとめた。

ブッダの教えは、いまの現実から離れない。どんなことがあっても、動揺しない。なにかに熱中したり、集中するというものでもない。不断に覚めていて、気づいていてリラックスしている。……そんなところを軸に作っていこうと思っている。
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たまたまきょう、Sさんを訪ねて話を聞いた。
Sさんは、うちのオープンテラスで石の地蔵を彫りに来る。以下、Sさんの話から。

地蔵を彫ろうというそもそもきっかけは、コロナによって自粛の暮らしになったからだ。

いわば、引きこもり。行くところもない。ただ座ってテレビを見るだけの暮らし。話し相手もいない。なにをやるにしても、面倒になっていった。

そんなとき、「30年前に事故で亡くなった息子の供養に地蔵を彫りたい」と思っていたことを思い出した。

師匠を探した。これも不思議な縁で、すばらしい師匠に出会った。

さらにFacebookでやりとりしていて、池谷さんを訪ねた。施設「みんなの家」は豊かな自然に囲まれて落ち着いたところにあった。そのオープンテラスを使わせてもらうことで、自然な流れで、地蔵を彫ることが実現していった。

彫っていると、とても集中してくる。
集中しているが、一心不乱に熱中しているわけではない。
彫っていながら、落ち着いている。おだやかで覚めている。

先日、透析中に大量出血した。
コロナ渦のために、病院に行っても、PCR検査で90分も待たされた。そのあいだにまた大量出血した。普通なら、いのちにかかわる危機だ。

しかし、そんなときでも、パニックにならなかった。落ち着いていられた。それは、こうして地蔵を彫っていたおかげと思う。
彫ることで、自分が救われていると感じる。